注意されるとわたしの存在を否定されたと感じる
こんにちは、
精神科医の諸藤えみりです。
「注意されると
わたしの人格を
否定されたように感じる。」
というお話をします。
今日、
尊敬している人に質問をしたら
注意を受けた。
しかもガツンと。
目の前が真っ暗になった。
始まる自己否定。
胸が痛くてどうしようもなくて、
紙に感情を書きなぐる。
悲しい悲しい悲しい
ずっと書いていくと
「できないヤツと思われたくない。」
がポロっと出てきた。
評価されたい。
嫌われたくない。
尊敬している人だから
好かれたい。
ああ、わたし、
まだこんな思いを握りしめていたんだ
と気づく。
もう1つ気づいた。
これはわたしの昔からのクセで
「注意されると
人格を否定されたように感じる。」
ということ。
学校の先生や塾の先生
職場の上司など、
目上の人に注意されると
わたしそのものを
否定されたように感じる。
そんなことないのに。
今回はわたしの質問内容を
注意されただけ。
わたしの人格そのものには関係ない。
一緒にしてしまうので
苦しくなる。
注意されること。
それは
わたしの存在自体への否定ではない。
そこをぶった切らないといけない。
ちょっとスッキリしたところで
友達に電話する。
まだ胸はシクシク痛む。
でも、友達も同じことを言う。
「分かる!
注意されることを
存在への否定と捉えると
おかしなことになるよね。
そこは分けないといけない。
でもさー、
言ってくれるうちが華よ。
わたしたちも
下の子に言わないじゃん。
お互い嫌な気持ちになりたくないし。
言ってくれるのって、
もっと良くなるから
言ってくれるんだよ。
愛があると思うな。」
ですって。
うーーーむ。
わたしは
「そこまで言わなくても
よくない?!」
と愚痴った後だったので
まあ…
そういうこともあるか…
と渋々認める。
わたしのような方は多いと思う。
傷つきやすい人に
知ってもらいたいことは
注意されることは
自分の存在否定ではない。
そして
注意されることは愛。
これを知ったからといって
注意されるのが
平気になるわけではないです。
でも
ダメージは確実に減る。
皆さん、
強く生きていきましょうね泣