「まず鄧麗君に会いたい」
2018.04.02 10:47
1982年のこと、人民解放軍の空軍少佐が自らミグ19戦闘機を操縦して台湾に亡命したという。大陸から亡命してきた空軍少佐は当局から「先ず、誰に会いたいか?」と質問をされると、
「まず鄧麗君に会いたい」
と発言したという。
そのさなか、一九八一年十一月におきた人民解放軍空軍少佐呉栄根(ウー・ロンケン)の亡命事件が、奇聞に関する人々の認識を決定的なものにした。ミグ一九戦闘機をみずから操縦して〝自由中国〟に亡命して来たこの空軍少佐が、「まず誰に会いたいか?」との当局の質問に「ぜひ鄧麗君に会いたい」と答えたのだった。
当時の報道によるとこの空軍少佐は「中国大陸には自由がない。われわれは鄧麗君の歌を聴くこともできなければ録音も禁じられている。自由世界なら、誰でも自分の好きな歌を好きなときに聴くことができるのに」と訴えたそうだ。国防部の依頼によって呉栄根と面会した鄧麗君は、かたい握手をした後にリクエストに応えて『何日君再来』と『小城故事』(小さな町の物語、の意味。一九七〇年代のヒット曲)を歌い上げた。途中から呉少佐は『小城故事』を口ずさみ、面会に立ち会った国防部の面々が手拍子する中、嬉しそうに鄧麗君 といっしょに最後まで歌った。このときのことを聞かれて、彼女は大変感動したと述べている。
その後、中華民国の国民党政府は、大陸における鄧麗君ブームを積極的に反共宣伝 につかおうとした。
『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』(平野久美子)