【浅草②】浅草浅留町
2018.03.31 10:17
町名:浅草浅留町
読み方:あさくさあさとめちょう Asakusa-Asatomechō
区分:町丁
起立:1699(元禄12)年
廃止:1869(明治2)年
冠称:「浅草」
後身:浅草松葉町
現町名:台東区松が谷一丁目10番の角地
概要:往古は沼地、1642(寛永19)年に三十三間堂が建立され、俗に「堂前」と呼ばれていた。1698(元禄11)年、三十三間堂が焼失し、跡地は1699(元禄12)年に下谷山崎町の代地となる。下谷山崎町は黒鍬組の拝領屋敷地で、俗称・下谷黒鍬町。黒鍬組は江戸城の警備、とりわけ防火や物資運搬に従事する軽卒で、代地となった当町にも黒鍬組の一部が移住、はじめは「黒鍬方五十人拝領屋敷大縄地」と呼ばれていたが、同年町奉行支配となり、「浅草浅留町」と改称。町名の由来は不詳。朝鮮通信使の来朝の際は東本願寺が宿所となるので、新堀川端西縁の空地は御供待ち・馬匹場・御賄所等に使用された(備考)。1828(文政11)年の家数19軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、浅草坂本町他、近隣の門前町と合併して浅草松葉町に編入となり消滅。現行の松が谷一丁目10番の角地。
撮影場所:浅草浅留町