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成人発達障害者がうっかり引っ越して 一人暮らしを始めた結果

ひとりがいいかどうかについて

2018.03.31 13:33

ちょっと時間ないので、あまり推敲はできませんが書きます。

ついったーの恋愛系のツイートに反応して、さっきなんか書いたりしたのですが

ぶっちゃけ、、少し前まで、ひとりになることについてあんまり抵抗感を持ってませんでした

一人暮らしについて、やってみるまでは不安だった、
確かに工具が必要な日曜大工的なことはサッパリわからず、彼氏にやってもらったほうが捗るし
重いものを持つときも捗るし、そういう「引っ越し直後」的な作業には
身近な男手や協力者はいたほうがいいらしい、とは感じたのですよ。
でも普通の日常生活に関しては、よっぽど病気とかにならない限り
あんま意外と助けいらないじゃん、という感じになって
食費が倍になるだけでは、もう単なる損失では?とかガチめに考えた日もあったりして
別れて困ることを脳内でリストアップしたときに

ぐらいしか思いつかなくて、「許容範囲じゃね?」ってとこまで
考えてしまった日がね正直、あります、ありました

でもこの感覚は、仕事の時間がほどほどで、私生活の充足や休息を
自力で十分に作れる場合に限られる
ものだったらしい。

仕事が長時間になってきて、睡眠の質もギリギリになってきて、
体力もギリギリになってきて…というのが長期間続いてくると
帰宅してからさあ趣味を燃やすぞという感じでもなく、TVをダラダラ見れるでもなく、
場合によってはシャワーをサボらないと睡眠時間が確保できないこともあったし、
休みの日も睡眠が狂ったまま疲れが取れずにどこにも行けなかったりして、
何となくごはん食べることぐらいしか楽しみがなくなってきて(※ごはんは元々好きでした)、
でもそうなると、「なんで関東きたのか?」「なんで働いてるのか?」が
段々わからなくなってくるんですよね。
そうすると存在価値は
「仕事以外で必要とされる相手がいるから」とか
「skypeで寝る前に会話する相手がいるから」とか
なんかそういう感じになってきちゃうんですよね。

あのとき早計に別れを決めてなくて良かったのかなと今は思っている、
この感じのまま周辺地域に繋がりというか、理解者がいなかったら
へたするとぽっくり氏ぬことも視野に入ってきてしまう。
世の自殺は今のギリギリ感が重篤化したときに起こるんだろうなと改めて思う。

なんとか主体的な趣味を持って、隙間時間に行動を起こして、
重篤化への道を塞いでいかないといけないんですけど。


なんかそういうことを考えているさなか、ふと父親のことを思い出してました。
最近、思い出す頻度が多くなってきている。引っ越す前にも実は話したいと思ったのですよね。
地元のドラッグストアで、奇跡的にすれ違ったのだけど、まぁいいやってスルーしてしまったから
今も連絡先がわからない。今後もずっとかもしれない。

あの人も「別れた人」、自称「ひとりで暮らすことに満足している人(十数年前の情報)」
だったので、個人的に、生活についてインタビューさせてほしい的な気持ちがある。
今の自分が迷走しかかっているからだと思うのだけど。
ただしおいらから時折漏れる、薄情で打算的な所は父親由来だとしか思えないので
(母親は正反対の、情のかたまりみたいな人)
いま改めてしっかりした縁を持つことは やめといたほうがいいとも思ってはいるんだけど。
将来もしかすると、彼氏・母親・父親の介護というトリプル介護になりかねないし。


まぁこういう考え方しかできない以上は、たぶん死ぬときはひとりなんだろうなぁ。
それでもいいって思えるようにしておきたい。