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Spiritual Care

うちなる溢れる愛を見つめるのが、苦しい

2022.12.02 14:03

風花です。

いつもたくさんのご縁をありがとうございます。

あっという間に、今年も12月となってしまいました。

陰極まりつつありますね。

急に肌寒く感じ、冬の到来を感じます。


11月は、変容の期間となり

たくさんの方が、葛藤したり。ある決断をしたり。


11月、人によっては、クライシスが起きたりしていました。

このタイミングだからこそ

脱皮のような。それも、卵の殻が割れるような。

オーラの裂け目が出てしまった人も。

裂け目ができた時、あなたは同時にチャンスでもあります。

古い、硬くなった殻やそこにこびりついた

サビを浄化し、手放していく時なのです。


そんなこんなで、

目の前の出来事でショックや、ある種の限界点を感じ

混乱し、圧倒されている人も多かったように思います。


12月の半ばまでは、あともうちょっと変容期は

このまま続きます。


今年の冬至までは、どなたも忙しない気持ちが

続くと思われます。(まあ、毎年そうかもしれないんだけれどね。

でも、今年の冬至までは脱皮の苦しみや、

脱皮した後の、生身の自分が、今の状況に慣れるまで、

定着させていくまで、ちょっと時間がかかるというか。)


人は、愛する人や愛するペットを失ったり。

大事な友人と思っていた人と、お別れしたり。

うまくいかなくって、人に悪態ついてみたり。


何が辛いって、究極

どんな外の出来事も、その人のうちなる愛に

働きかけてくるわけですよね。


ああ、こんなに愛する気持ちがあったんだとか。

こんなに愛に溢れた時間を過ごしてきてたのか、とか。

ああ、こんなに、自分は誰かに愛を届けたかったのに

それをうまく相手にキャッチしてもらえなくって

悲しかったのか、とか。


結局のところ、人は、自分のうちなる

純粋な愛に触れると、たくさん涙が出たり。

恥ずかしかったりしますよね


そんな涙を認めたら、今までの自分の苦労が

(それも、外堀を埋めていくかのように、人の機嫌を伺い、

人に合わせてきたような苦労、社会の目・世間体・・・etc)

なんだったわけ?と、悔し涙さえ流したくなかったりしてね。


結局、人はうちなる純粋な愛に触れることが怖いし

愛する人をもし失った時、

クールに振る舞えなかったり。ダムが決壊するごとく

涙が止まらなかったり。それが、みっともない。

みたいな感じで思えてしまうのかな。


パートナーにわかってもらえない、自分に興味がないんだと思う。

なんで結婚したんだろう。そんな呟きの奥には、

愛をただ受け取ってもらいたいのに、パートナーには

素直に受け取ってもらえない。ただそこに、苦しみがある。


そのうち、こじらせていくもので、

どうせ私は愛されない。に、

最終的には結びついていくものですね。


こじらせさんは、愛の風邪をひいていることが

多々あります。まるで、心がマスクしていて

ゼーゼーしているの。自分のうちなる純粋な愛に

息切れしているんですね。


愛の反対にあるのは無関心、と言ったりしますが


無関心って、何に無関心かというと。例えば

恵まれない子供たちに、もっと目線を、みたいな

こととは、ちょっと違くてね。


実は、自分自身の、うちなる愛を感じる時間もとらず。

否定し、なかったことにしようとする。

そんな、頑なな心の風邪。愛の風邪。を手放そうとも、

自分で感じようともしない。そういう

自分への頑なな態度なのかもしれませんね。


どんな人にも、うちなる光は宿っていますが

心の毒や、長年の頑なさ、何より

本人が気づこうとせず、口を真一文字に結んで

歯を食いしばる。そんなことをしているうちに、

私たちは光を、どんどん、なかったことにして放棄してしまいます。


今、正直、そういう日本人はとても多いように感じています。


恥ずかしいことではないと思います。

自分のうちなる光、真心、祈る気持ち。

別におおっぴろげにする必要も全くないけれども、

大事にしていきたいですね。


風花