2015年8月14日(金)『8月納涼歌舞伎第三部 芋掘長者、祇園恋づくし』
2015年8月14日(金曜日) 『8月納涼歌舞伎第三部。芋掘長者、祇園恋づくし』
歌舞伎座で、八月納涼歌舞伎の第三部を観た。さほど期待していた訳ではないが、結構面白かった。最初は、十世坂東三津五郎に捧ぐと、題された「芋掘長者」、筋は、どうでもよく、踊りの名手が、わざと下手な踊りを見せるのが、眼目になっている。平成17年の復活上演も観にいったが、三津五郎が踊り、面白かった記憶がある。
緑御前の婿選びで、踊り大会が行われ、そこに緑御前に一目惚れをした、舞ができない芋掘の藤五郎が、友達の踊りの名手、治六郎を伴いやってきて、まずお面をつけて,藤五郎に代わり、治六郎が踊り、喝采を受けるが、面を取って踊ってくれと頼まれ、二人で踊ることになるが、籐五郎は、横眼で治六郎の舞を盗み見て、ちょっと遅れて踊ったり、振りを間違えたりして、滑稽に踊る。最後には、窮屈なお踊りはもういいと、得意な芋掘り踊りを始め、その面白さに、緑御前が感動して、婿にするという流れだ。
踊りの名手だった十世三津五郎が、わざと下手な踊りを見せるのが、楽しみだったが、今回は橋之助が芋掘りの藤五郎を演じた。橋之助には、私自身が、これまで踊りの名手と思ったことはないし、一般的に橋之助が、踊りの名手という定評はなく、「踊りの上手い人が、わざと下手に踊る」、と言う、演目の眼目である、踊りのヘタウマの落差が全く感じられなかった。踊りの名手治六郎に、十世三津五郎の息子の巳之助が演じていたが、巳之助は踊りが上手いと私は、思った事はないので、踊りの名手が踊る役は、まだ難しいと思った。まあ、しかし、三津五郎の子供が、実の親の三津五郎の当たり役を演じるのは、供養というものだろう。舞台での、色気や容色は、まだ親の三津五郎に、はるかに及ばない巳之助だが、時折見せる表情に、三津五郎そっくりな時もあり、懐かしく、また三津五郎の早世を悲しくも感じた。まだ三津五郎を偲ぶには、亡くなって間がなさすぎ、逆に、三津五郎の喪失感だけが、虚しく残ってしまった。
二つ目の演目は、「祇園恋づくし」、東京では、初めてだそうだが、昔勘三郎が指物職人を演じた舞台を観た記憶がある。
京都で、江戸っ子の指物職人と京都の茶道具屋の生粋の京都人の主人が。それぞれの言葉で喧嘩するというのが、芝居の眼目。私のような東京人には、関西弁というと、広く流布された吉本興行の関西弁の印象が強く、京都弁といっても、大阪弁とは区別がつかないが、京都の人が聞けば、変な京都弁と思うかもしれない。まあ、それでよしだろう。江戸弁でも、今話されている東京の言葉と違い、本当にそんな風に話していたのかと思うほど、奇妙であったが、それぞれ舞台仕様に、記号化された京都弁と江戸弁なんで、つべこべ言っても、仕方がない。
前回は、勘三郎が演じたという指物職人を、長男の勘九郎が演じた。目をつむって聞くと、明らかに勘九郎は、父勘三郎の声色を真似ていて、まるで勘三郎の声を聞いているようで、舞台をロングで引いた眼差しで見ていると、間の取り方、突っ込み方、客の笑わせ方もそっくりで、まるで勘三郎が、生き返ったように演じていて、懐かしなって、涙が出てきてしまった。