賽の河原の石積み
親よりも先に亡くなった子供は、三途の河原で父と母の供養のために、石を拾ってきては積み上げ、石塔をこしらえるというお話がありますね。
苦労して積み上げた石塔を、鬼がやって来て崩してしまう。
何度も何度もその繰り返し。
実際にどうなのかはわかりませんが(話に聞くだけですし)、子を亡くした親たちが苦しみ続けている間は、子供たちが供養の石積みを終えられないとのことなので、つまりは逆縁の苦しみからどうにか立ち直ってほしいと作られた説話なのでしょう。
普段こんな説話にはあまり耳を傾けない私が、なぜに持ち出してきているのかというと、なにか今の自分の状況とイメージが被ったからです。
うりゃーーーー
(ノ=゚ロ゚)ノ ⌒┫:・’.::ヤッテラレルカァァァァァ!!!!
………と、
鬼じゃなくて私がひっくり返してどうするの… ですが。
せっかく積み上げている最中に、また崩しにやって来た『鬼』に対し、キレて暴れたい気持ち。
我が娘が自ら還ったあの日。
それまで自分なりに培ってきたものが、木っ端微塵に崩壊しました。
生きる気力も喪失した中で、なんのために肺の手術をせねばならなかったのか。
その後のリハビリの辛さ。
こころからは流血し、粉々になった破片をどうにかしようと、掻き集めてはまた傷を負う。
そんな中で、悲しみを抱いて歩く方々と出会い、ときに支えられて、辛うじて気が狂うこともなく日常生活を取り戻し、なんとか一般社会とも繋がりを保ちながら生きていけるようになってきた6年目。
亡き娘 有ちゃんを毎日思い、供養を積み重ねてきた日々なのに。
それを、悪性腫瘍というゲンコツで、横から一発で崩される。
まるで『賽の河原の石積み』のお話みたいじゃないですか。
やさぐれて悪態をつきたいけれど、アラフィフの私……悪態も映え無いどころかみっともない。
ああ、でも。
辺りのことを気にかけられている自分は、まだその程度の状態なのだということなのかどうなのか。
*
賽の河原の話には続きがあるようですね。
よく知られているのは、子供達の前に地蔵菩薩が現れて救ってくれるというお話。
現れた地蔵菩薩は、抱きしめて救ってくれるそうです。
子供達は無事に成仏。
地蔵菩薩による救済は仏教に基づくものではなく俗信とのことですが。
我が子が苦しみ続けるなんてことは考えたくもないし、当たり前に願いませんから、自分が身代わりに賽の河原の石積みを此の世という地獄でやり続けているのだとすれば、それもありなのかな…と、そんなふうに(ある意味)ポジティブに変換してみてました。
が……、
先日主治医から説明のあった術式や内容、麻酔科医からの説明を聞いたあと、またもやグダグダビクビクしています。
以前の左肺全摘手術時とは違い、硬膜外麻酔というのは使わないで、静脈注射の全麻だけでオペするというのです。
(´д`|||)
積み始めたヤル気の意思(石)を崩す、医師のお面を被った鬼たちにも見えてきました…
📷動物病院診察室での、鉢くん(上段)と、盆ちゃん(下段)。
盆ちゃんは尻を向けて、診察台に上がるのを全力で拒否の姿勢。
📷向かって右: 盆ちゃん、雌猫にしてはちょっと体重が重たいですね、と獣医さんにチェックを入れられました。鉢くんはスタイル抜群とのこと。
このコたちにも手術や治療への不安を、長々と話して聞かせてみているヘタレ飼い主です。
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