2015年11月16日(月)『俊寛考』
歌舞伎の俊寛は、近松門左衛門が、平家物語を脚色して作った人形芝居、「平家女護ケ島」を、1年後に歌舞伎化した作品だ。鹿ケ谷の陰謀が露見し、俊寛、判官、少将の3人は、絶海の孤島、鬼界ケ島に流罪となった。俊寛は、後白河法皇の近臣で、法勝寺という大きな寺の執行という高い位のお坊さんだった。仏の道に精進するよりは、寺社の政治権力が強い時代であったから、多分に政治色と、権力欲の強い僧侶であったであろう。しかし、あっという間に、鹿ケ谷の陰謀は露見し、首謀者は死罪になったが、俊寛達3人は、鹿児島にあったと言われる、鬼界ケ島に流罪になって、3年経ったある日の物語である。
この島には、当たり前だが、京の雅さは何もなく、京都と同じものは、太陽と月だけという孤島での生活である。南の島だろうから、寒さはしのげただろうが、食べる物には、苦労したであろう。浜に打ち上げられた昆布などを採取して、漁師に、魚と交換してもらったことであろう。新聞、テレビ、インターネットがない時代であるから、変化のない、単調な毎日が、ただただ繰り返される毎日を過ごした事だろう。喜界が島に流された三人の、唯一の望みは、赦免されて、再び京の地を踏むことだけだった。
平家物語では、途中で、平氏と姻戚関係にあった判官、そして少将は、赦免されたが、俊寛は、清盛の怒りが強く、赦免されず、島に一人残され、絶望の淵で死んでいく。しかし近松は、島の娘千鳥を登場させ、少将と恋に落ち、結婚させる。変化のない島の生活に、愛、恋を中心に据えた変化が起きる。俊寛の心の中に、愛や恋の感情が、巡るのは、何年振りかで、心がウキウキしてきただろう。
歴史的事実はともかく、舞台では、俊寛たち3人に、赦免船が来て、3人は赦免され、千鳥も含めて、4人が、赦免舟に乗り、京に向かう事になるが、上使である妹尾に、3人しか舟に載せないと、千鳥の乗船を拒否されてしまう。そこで俊寛は、瀬尾を殺し、自分は島に残り、千鳥を、自分の代わりに、船に乗せ、自分は、自己犠牲の精神で、島に残る決断をするというストーリーに変えている。
演目のタイトルは、俊寛であるから、主人公は俊寛である。島の娘と、少将の愛が、一緒に流罪になった3人の心をまとめ、俊寛は親になった設定された。仮の親になたことで、千鳥を船に乗せるため、俊寛は上使瀬尾を殺し、自分一人、島に残る決断をする。このあたりの俊寛の自己犠牲の心は強い。あれだけ京に帰りたかった俊寛だが、妻あずまやが殺されたと知り、一気に、京に未練のなくなった俊寛の決断は、とても素早い。自分の人生はここまで、と覚悟を決めたのだ。俊寛の決断で、舞台は、大団円と思いきや、しかし芝居は、ここでは終わらない。赦免舟が出航し、舟が島を遠ざかって行く。赦免舟を見送る俊寛は、達観したものと思っていたが、やはり俊寛も人の子、人間である。いきなり、俊寛の心が乱れ、異常をきたす。思い切ったつもりだが、いざ船が出て、一人ぽっちになった途端、心が動く。これからは、孤島での一人の生活が始まる。話し相手もなくなる。孤独感に耐えられなくなり、望郷の念を強くしたのである。最期に義太夫が、「思い立っても凡夫心」と語るが、まさに本当に最後は、僧侶ではなく、普通の人に戻るのである。近松の人間描写力は卓越している。