正直であれ、ウソをついているかぎり慰安婦問題の解決はない
『赤い水曜日』金柄憲氏を迎え慰安婦問題シンポジウム
『赤い水曜日 慰安婦運動30年の嘘』(文藝春秋)の著者で、韓国国史教科書研究所所長の金柄憲(キム・ビョンホン)氏も参加して開かれた「慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム」(国際歴史論戦研究所主催、11月16日、東京文京区の文京シビック・スカイホール)については、前回のブログでも触れた。このシンポジウムの模様は、当日、会場から中継を行っていた以下のYoutubeチャンネルでもすべてをご覧いただける。
<いろはにほへとチャンネル「慰安婦問題を巡る日韓合同シンポジウム 」(第一部)>
<日韓情報ゆんばん「韓国の小中高教科書内の慰安婦記述に対する諸問題」(慰安婦問題シンポジウム)>
嘘は赤い!? 韓国語にもある『真っ赤な嘘』
ところで書名の「赤い水曜日」(빨간 수요일 パルガン スヨイル)とは、挺対協が1992年1月から毎週水曜日にソウルの日本大使館前の歩道で行ってきた反日集会のことを指す。雨の日も風の日も、コロナ禍に見舞われた渦中でも毎週水曜日に欠かさず行われ、11月30日の時点で通算1572回を数え、世界で最長・最多回数を誇るギネス級の集会・デモだと自慢する。
その水曜集会が本のタイトルでは、なぜ「赤い」のか?日本語版の本の帯には「慰安婦の証言は『真っ赤な嘘』だった」「彼女たちは性奴隷ではなく、強制連行もされていない」とある。
韓国語にも「真っ赤な嘘」(새빨간 거짓말 セパルガン コジンマル)という言い方がある。単なる「赤い」빨간パルガンではなく、새빨간セパルガンは「真っ赤、真紅」という意味だ。
この種の政治集会はただ長ければいいというわけではない。30年間も毎週続けてきた割には、何の成果も出せず、慰安婦たちの待遇改善も果たせず、ただ日韓関係を最悪にしただけに過ぎない。そんな慰安婦運動を「嘘」だと認定し「赤い」という形容詞をつけたのだろう。そして、これは稿を改めて論ずることにしたいが、この「赤い」は挺対協など慰安婦支援団体と北朝鮮との関係、その深い闇についても示唆しているものと思われる。
「慰安婦運動30年の嘘」
その『赤い水曜日』の韓国語版の裏表紙には、「慰安婦運動30年の嘘」の結論として、「国民をだまし、世界を欺き、子供たちに暴力性を植え付ける歴史歪曲現場の「水曜集会」は、今こそ根こそぎ正さなければならない!」として次のように記している
<「30年間、水曜集会は雨が降っても、雪が降っても、寒くても、日本大使館の前に集まって開かれてきた。しかし、これほど長い期間をかけても、この問題はなぜ解決されなかったのか、そのことを今は考えなければならない。これまでに米下院で、フランス議会で慰安婦がその被害を証言し、国連人権委ではクマラスワミやマクドゥガールが人権報告書を提出し採択された。しかし、慰安婦問題は解決するどころか、むしろ韓日関係だけを破綻寸前にまで追いやっただけだ。その理由は、そもそも責任の所在を明確にせずに、「日本の責任と賠償」を要求し、日本軍の強制動員と日本軍性奴隷説を主張し、戦争犯罪被害者であるという嘘を主張したからだ。
女性家族部に登録された「生活安定支援対象」240人のうち、日本軍慰安婦被害者はたった一人もいない!」>
「日本軍慰安婦被害者」は1人もいない
韓国政府に登録されているいわゆる「慰安婦」のうち「日本軍慰安婦被害者はたった一人もいない」というのはこの『赤い水曜日』の重要な主張だが、著者の金柄憲氏は、慰安婦問題を理解するためには、まず慰安婦に関する用語を正確に知る必要があるという。すなわち「慰安婦」と「日本軍慰安婦」、そして「日本軍慰安婦被害者」の3つを明確に区分しなければならないのだという。
まず「慰安婦」とは、1996年の韓国大法院(最高裁)の判例では、「日常用語において慰安婦というのは売春行為をする女性を指していう」とし、売春婦の別の表現であることを示している。慰安婦とは、抱え主(慰安所の主人)と雇用契約を締結し、営業許可を取得した後、売春をする女性、つまり公娼のことで、売春婦、酌婦、娼妓、娼女、醜業婦と同等の言葉である。また慰安婦は芸名、たとえば金学順は「あいこ」、李容洙は「としこ」、金福童は「よしこ」、姜徳景は「はるえ」、文玉珠は「よしこ」などを使って営業していた性サービス業者である。
占領地の慰安所で働くためには多くの規定
これに対し「日本軍慰安婦」は、日本軍が管理監督する日本軍慰安所で働いた慰安婦を指す言葉で、日本軍慰安所は日中戦争と太平洋戦争中、日本軍の占領地に設置され運用された。日本軍慰安婦になるためには、抱え主と「酌婦(娼妓)契約」を締結した後に、出身地の管轄警察署に直接出頭し、身分証明書(ビザに該当)の発給を申請しなければならない。その際、健康診断書の提出も必要だった。「酌婦契約」の締結と管轄警察署に出頭する際には、親権者の承諾は必須であり、それを証明する戸籍謄本と承諾書の提出が必要だった。そして身分証明書が発給されて初めて出国可能となった。
現地に到着後、領事館の警察処に出頭し、印鑑証明書、親権者承諾書、戸籍謄本、営業許可書、営業人調査書(身上書)、写真2枚を提出し、営業許可を申請して許可を得れば、その時点で慰安婦営業が可能となった。以上の書類を備えていなければ帰還措置を執ることができた。
要するに「日本軍慰安婦」は、領事館警察の許可を得た後に日本軍の管理監督を受けて営業する公娼であり、また慰安所自体にも多くの規定があった。
慰安所規定では、慰安所には軍人軍属以外の入場は許されず、入場者は慰安所用の外出証を所持することになっていた。入場者は料金を払って入場券とサック(コンドーム)1個を受け取る。室内では飲酒は禁止、規定を守らない者と軍紀・風紀を乱す者は退場させられた。サックを使用しない者は接触を禁じられた。入場券の金額は、将校は50分3円、宿泊8円、下士官は40分2円、兵士は30分1円50銭だった。
占領地以外や17歳以下は慰安婦になり得ない
以上のことから、日本軍慰安所が設置されていない場所(戦地以外の朝鮮、日本、台湾、満州)で慰安婦生活をしたと証言した女性、たとえば台湾にいたという李容洙、満州にいたという金学順や吉元玉、日本にいたという姜徳景や沈美子などは日本軍慰安婦ではない。
また日本軍慰安婦は18歳以上とされていた。慰安婦就業時に17歳未満だと証言した金福童(14歳)、吉元玉(13歳)、安占順(14歳)などは日本軍慰安婦にはなれなかった。因みに女性家族部に登録された240人のうち20人ほどが1930年以降に生まれた人、つまり終戦時15歳以下だったと申告している。
そのほか、軍人・軍属以外の民間人も一緒に接待したという女性、たとえば金学順なども日本軍慰安所で働いた日本軍慰安婦とは言えないケースだった。
「日本軍に強制動員された」のが日本軍慰安婦被害者
女性家族部に登録されたいわゆる「日本軍慰安婦被害者」240人のうち、60%~70%は、日本軍慰安婦ではなく一般売春業者の従事者だと金所長は断定する。
次に「日本軍慰安婦被害者」だが、まさにこの30年間、日韓関係だけでなく国際的な話題となったのが、この「日本軍慰安婦被害者」という概念だった。
韓国では、「日本軍慰安婦被害者」は「慰安婦被害者法」によって規定され、保護及び支援の対象となっている。「慰安婦被害者法」は、日本軍慰安婦被害者の保護および支援、記念事業(少女像の設置)、教育および広報、慰安婦被害者の記念日指定などに関する諸事項を定めた法律で、その第2条1項には「日本軍慰安婦被害者とは、日帝によって強制動員され、性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強制させられた被害者のことを言う」とある。
つまり、日本軍慰安婦被害者の前提条件は「日帝による強制動員」が核心となる。
強制動員のためには召集令状など命令書が必要
ここでいう「日帝」とは「日本帝国」という国家公権力を意味し、彼らの行為は公務であるために必ず関連法令がなければならない。
しかし、慰安婦は国家の動員対象ではなく、抱え主(慰安所事業者)が募集した人々であり、関連法令はあるはずがない。しかし、国が行う公務ということになれば、たとえ慰安婦が動員対象だったとしても、召集場所と時間を明示された召集令状や出頭命令書といった文書を交付し、場所と時期を指定して動員する必要がある。家で就寝中の女性や畑で働いている女性、友達と遊んでいる女性などをいきなり誘拐、拉致するような方法で動員することはできないのである。
しかも戦地で戦っている軍人が突然朝鮮にまで来て、幼い女性たちを日本や台湾、満州まで連れて行って売春営業をすることは、軍紀に違反し、軍務の場所を無断で離れることになり、厳格に処罰されるため不可能だ。
したがって、「慰安婦被害者法」第2条1項に規定する「日帝により強制動員された」に符合する日本軍慰安婦被害者は、1人も存在しないことになる。
慰安婦の証言にも強制動員を示す具体例はない
現に、挺対協が慰安婦の証言を聞き取ってまとめた全8巻の慰安婦証言集(『強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』6巻と『中国に連行された軍慰安婦たち』2巻)には、日本軍によって強制的に連行されたことを具体的に示す証言は一つもなかった。まして、日本軍の将軍より高い収入を得て故郷に家を建てられるほどの仕送りをし、日本の兵士と時にはピクニックに出かけショッピングを楽しんだという慰安婦たちが「性奴隷」であったり、虐待を受けたり、慰安婦生活を強制された人々ではあり得ないことは明らかだ。
金柄憲氏はこの本のエピローグの最後を、以下のような文章で結んでいる。
<「そろそろ私たちは三〇年間の慰安婦問題解決のため、慰安婦の実状を冷静な目で見なければならない。そのためには、慰安婦問題を取り囲む虚像をまず取り除くべきだろう。それは、これまで正義連が偽り扇動してきた強制動員説と性奴隷説、そして戦争犯罪説だ。慰安婦問題解決の糸口は、このような虚像を取り除き、実情を正確に見ることでつかめるに違いない。
大前提は正直であること、いまのようにウソをついているかぎり、この問題は解決できない。」(p363)>