本日の出演アーティスト
🍁みなさんおはようございます🍁
昨夜は⚽️観戦で寝不足なんて方も多いのでは😅
チームやサポーターが一丸となって戦う姿が感動を与えてくれましたね☺️
最近は一丸となるという事は滅多に無い?ですよね🤔
私達の住む横浜の歴史に市民が一丸となった運動があったのをご存知でしょうか!?
先日、みなとみらいロイヤルパークホテルに寄った際、キラキラとライトアップされた街並みの中で一際、存在感を見せていたのは
『日本丸』⛴でした。
【100年への航海】と書かれた横断幕
皆さんの記憶では横浜博覧会でやってきたと思われている方もいるのでは。
日本丸がこの地に身を落ち着けたのは、横浜博よりも前の1985(昭和60)年のこと。
明治・大正期のほとんどの公立商船学校には小型帆船しかなく、海難事故も多発。大型練習船の建造が待望されていた中、1930(昭和5)年に神戸の川崎造船所でついに2隻の大型帆船が誕生する。そのうちのひとつが「日本丸」だったそうです。
太平洋戦争が始まると外洋訓練は中止される。帆装が撤去され、船体は鼠色に塗り替えられ、戦時中多くの船が沈む中、戦禍をまぬがれた日本丸は、終戦直後、引揚者の輸送や遺骨収集の任にも当たったそうです。
そして、終戦後はもとの姿に戻るも老朽化にあらがうことはできなかった日本丸。
ついに54年間の活躍に終止符を打つ。
その間の航海距離は延べ183万km実に地球45.5周分!
海事思想普及の目的で誘致をいち早く希望したのが横浜市だった。
このとき誘致に動いたのは神戸、大阪、小樽、船橋、新湊、清水、豊橋、福岡、鹿児島が名乗りを上げた。まさに「誘致合戦」だったようです。
が、ここで横浜市民の思いが一つとなり
無事に横浜に【日本丸】を迎え入れることとなったのです。
その後もボランティアなど多くの市民の協力を得ながら今日に至るそうです。
詳しくは日本丸メモリアルパーク・帆船日本丸・横浜みなと博物館で知ることが出来ます。