2016年9月3日(土)『歌舞伎座秀山祭九月歌舞伎夜の部、吉野川、らくだ、元禄花見踊』
9月の歌舞伎座は、秀山祭で、今日は、夜の部を観た。
最初の幕は、大作、吉野川、平成19年に、幸四郎、藤十郎で見て以来である。今回は、大判事清澄を吉右衛門、太宰公室定高を玉三郎、久我之助を染五郎、雛鳥を菊之助という配役、今望める最高のキャスティングだと思う。
妹背山女庭訓の一部である吉野川は、両花道を使い、豪華な舞台だった。吉右衛門と玉三郎が、大芝居をして、観客を唸らせたが、どうもこの芝居は、見ていて、気持ちが乗らない。ミトリで、この幕だけが出ても、何で、それぞれの娘と、息子を殺すことになるのか、分からないからだ。
両家は、隣り合わせた国の領主で、仲が悪い。女性の定高は夫亡きあと、領主の役割を果たしていた。両家が反発している曽我入鹿の命令で、定高の娘、雛鳥には妾になれと、大判事の息子、久我之助には出仕しろと命令が出る。久我之助と雛鳥は、恋仲であるので、この後で,久我之助は腹を切り、雛鳥は、定高に、首を切られ,殺されるのだが、この幕を見ているだけだと、どうして自分の息子や娘を殺してしまうのか、意味が分からず、感情が移入できないのである。ミトリの限界であろう。でも、舞台の美しさもあり、吉右衛門と玉三郎が、大芝居をして、みえをきるだけで、満足してしまった。この先、玉三郎の定高が、見られる保証はないので、満足感はあった。
次のらくだは、実にくだらない芝居で、馬鹿馬鹿しい事限りない。こうした演目は、役者が力を抜いて、楽しんで演技してもらわないと、芝居の面白さが伝わらない。勘三郎と、三津五郎で以前見たが、力が抜けていて、見ようによっては役者が、適当に遊んでいて、面白がって演じていたので、舞台は、楽しかったが、今回、松緑が、一生懸命演じすぎて、観ていて疲れた。染五郎も、元がまじめな役者だけに、松緑の演技に合わせすぎて、話のくだらなさが伝わらない。役者が、演技しすぎて、少しも楽しく観ることが出来ない、らくだであった。
それにしても、吉野川という大悲劇のすぐ後に、死人を躍らせて、大家から酒と、煮しめをかすめとるというような、実にくだらない内容の芝居を組むものだろうか。いくらミトリとはいえ、編成がおかしいのではないかと思う。
元禄花見踊は、玉三郎を中心に、若手御曹司を総出演させて、賑やかに打ち出し、玉三郎の美しさを、十分堪能して、歌舞伎座をあとにした。御曹司達は、まるで玉三郎にお付き合いしています、いてもいなくてもいいです。どうせ玉三郎しか見てないでしょう、という雰囲気で、精一杯踊っている様子はなく、なんとなくお座なりの印象だった。観客も、正直に言って、玉三郎以外は見ていないので、それでいいのではないかと思う。ただ衣装が、金ぴかすぎて、衣装倒れに、閉口した。打ち出しは、まあこんなものだろう、玉三郎の美しさを、短時間でも感じて、歌舞伎座を出ることができて、幸せな気分で、帰宅できた。