1 夏至、日の出、富士。二見浦。
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夏至の日から2週間遅れの日の出。雲で富士は見えなかった。
伊勢というところは特殊な場所である。一年で一番日照時間の長い夏至の日に、海の向こう に見える200キロ先の富士山の頂上から、太陽が昇るのが見える。その状況を目にすることは稀であるが、日本中でこのような場所はおそらくないと思われる。海上に立つふたつの巨石は、現在は夫婦岩と呼ぶが、江戸期には立石と呼ばれた。更に立石の650メートルの海上には、 安政の大津波で崩壊したが輿玉神石と呼ばれた御神体があって、夏至の日の出の方角を指していた。立石、夫婦岩は鳥居の役割を果たしていた。つまり海上に富 士と日の出を奉る拝殿が、自然の造る舞台装置として存在していた。富士は時に噴火し、人間を威圧するように噴煙を数キロ上空までも吹き上げていた。人はそ れを自然 を司る大王のように見ていたかもしれない。そんな舞台が揃ったこの場所こそ、伊勢の人々はとても大切な聖地と考えていたのではないだろうか。
前後するが、夏至の日から1週間遅れの富士から昇る日の出。余りの混雑に夫婦岩の正面に立つことが出来ず、太陽は富士の左から昇った。
富士、火山、太陽、海。感謝と畏怖の対象が、そこに収束されている。大いなる自然の中で 富士の噴火は、南海トラフ も含めた大地の揺れと関連付けられていただろう。またその揺れは津波を起こし、一瞬で甚大な被害を与えた。いにしえの伊勢の人は、一年のうち太陽の力が最も強いその日に祭りを行っていたと想像することは難くないし、太陽と富士の合体するタイミングである夏至は豊穣をもたらす稲作の時期を知らせていた。海はたくさんの海産物をもたらせていた。もともと日本が世界的に稲作が始まるのが遅れていたのは、海からの恵みが豊富だったからである。だが海は台風を呼ぶ と、豪雨となっ た。国内でも有数の多雨地域である大台ヶ原を水源とした宮川は、洪水、山崩れなどの災害を起こしたし、また豪雨は大台ケ原の南に位置する尾鷲周辺にも集中し南部沿岸地域にも大きな爪あとを残した。
富士はその秀麗な姿を一万年前から現し、ふもとに縄文の遥拝遺跡を残すほどの古い神山だった。清浄な水を涌水し土地を潤し、火山として噴火することで神 たる力を示し、地震を引き起こし、津波で人々の命をも奪う力を見せ付けた。我々の知る有史とはほんの短い期間で、そこに至るまでの人間の歴史は、明確な思考があっても文字がなかった期間だけで考えても、想像を絶する長さである。自然信仰を醸し出す時間は悠久に流れていた。そして、 海、太陽、富士、浅間(火山)の集まる場所、伊勢志摩、特に二見浦に人々は無関心ではいられなかったはずである。