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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロマン派の時代55-サン=サーンス死の舞踏

2022.12.06 10:40

フランスを代表する作曲家カミーユ・サン=サーンスは、セーヌ国民衛兵の一兵卒として従軍した。そして「戦争の歌」も作曲して後に「英雄行進曲に改作している。敗戦後、「国民音楽協会」を結成して、フランス音楽の振興で国に貢献しようとした。ずいぶんな愛国主義者である。

ところが敗戦後にパリ・コミューンが勃発、彼はその頃パリのマドレーヌ教会のオルガニストだった。コミューンから敵視され、ロンドンに亡命した。彼は間に合ったが、彼の音楽的才能を認めてくれた司祭ガスパール・デゥゲリは、「血の一週間」で処刑された。

普仏戦争のパリ包囲戦でも、親友のテノール歌手アンリ・ルニョーを亡くしている。そんな彼が1872年に作曲したのが作ったのが有名な「死の舞踏」である。この曲は真夜中に死者が踊り出すというヨーロッパの伝統を踏まえたものであるが、サン=サーンスの心に響いたのだろう。

74年には管弦楽曲にも編成されて、75年に初演された。しかしまあさすがにリアルすぎて失敗した、戦争の痛手を忘れようとするフランス人には逆効果だっただろう。しかし不気味趣味のあるリストが取り上げ、繰り返し演奏されているうちに今ではサン=サーンスの代表曲となっている。