用の美
FIFAワールドカップ、日本代表の素晴らしい試合を見せてもらいました。
選手たちの鍛え上げられた体を見ていると、「用の美」という言葉を思ってしまいます。
見せるための筋肉ではなく、サッカーをするために磨き抜かれた“使える”筋肉の機能美を感じます。
「用の美」とは、1926(大正15)年に思想家の柳宗悦(やなぎむねよし)氏の提唱により始まった『民藝運動』から生まれた言葉だそうです。
飾って愛でる高価な美術品ではなく、生活道具として使われる民芸品に価値を見出し称えようとするもの。
焼き物、染め物、織物、漆器、木工品、竹細工…、職人さんの誠実な手仕事は機能的で本当に美しい。
日常で使い込んでいくうちに味わいが増すのも魅力だと思います。
年配の方などケアをしていると、指や足などの変形や、シミやしわなど、ご本人が嘆かれることしばしばです。
でも、私としては、それも何とも愛おしい。
一所懸命生きてこられた証で、ビンテージの美しさだと思うのです。
ただ、痛みや不具合があるのは困るので、そこは何とかお手伝いできないかと力を尽くす訳で。
傷んだ体もガラスの心も、飾っていては強くなりません。
“絶対安静”の時期を過ぎたら“使って養生”。
養生は、じっとそっとしておくことではありません。
今は手術の後も即リハビリが始まる時代ですものね。
あんまり頭で「運動しよう!」とか、決めた回数をこなそうとし過ぎるのではなく、自分の心身と相談しながらいきたいものです。
これくらいならいけるかな?
もう少しやれるかな?
時にお医者さんや画像診断の力も借りながら、何より自分の声を聴けるようにありたいと思います。
私の場合は自分に甘々ですが…。
割れた陶磁器が金継ぎで魅力が増すように、脛の傷もコンプレックスも肉体の老化も味わいにして、いつまでも“使える”自分を目指したいと思います。
人生も「用の美」で。
ちなみに写真は、知人の窯で作らせて貰った笠間焼のお茶碗です。
人生唯一のロクロ体験からもう30年ですが、今も毎日使っています。
これを初めて使って洗おうとしたとき、両掌に吸い付くようにしっくり馴染んでゾクッとしたのを覚えています。
自分の手のカーブで作ったものですから究極です。