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ささみのノート

死ぬことと生きることについて考えていること

2018.04.04 08:29

※ここでのささみは平気で死にたいとか言います。読みたくない人、読まないほうがいい人、今のうちに引き返しましょう。


これはあくまで私の個人の考え方です。

自死を過剰に肯定しているつもりはありません。

わたし以外はみんな生きていてほしい。





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いつ死んでもいい。

この世に未練がない。


どのくらい共感してもらえるのだろうか。

私自身の死についての考えを書いていくよ。



大切な人が亡くなってから考えが変わった部分もあるけれど、根っこにあるものは変わっていない。



○死にたさ


いわゆる希死念慮というやつ、うつ極まっていた時はあったけれど、今はほぼない。積極的に死のうとするほど追い詰められていないんだろうな。


でも手段は持っておきたいとも考えている。できれば遺体がきれいに残るように、だってお葬式で顔見れたほうが実感湧くでしょうから。発見された時にグロすぎないように、トラウマになってはいけませんから。できればいつでもどこでも実行できて、未遂の可能性が低いやつ。失敗した場合後遺症が残りにくいほうがまだいい。具体的なことはないしょです。


あと遺書は必ず欲しい。事故か自殺かわからないと遺族は悩み続けなきゃいけなくなるかね。某引きこもり協会のアニメで岬ちゃんが言ってた気がする。理由と感謝と後を追わせないようにする文言、私の分まで生ききって的なのを加えて、完成。


それから自分にしかわからないことは整理しておく。散らかった部屋の片付けよりも、所有者のわからないもの、価値がわからないものが一番困る。捨てて欲しくないものだけリストにして、拾いたいものだけ拾ってもらってあとはゴミでおーけー。このための文書作成をする。

あとスマホとノートpcとハードディスクはその時になったら物理的に破壊する(確固たる決意)。データを消去してても読めるものは読めることがあるらしい。破壊すれば外部ストレージにしか残らない。パスワード類はかなり盗むのが難しいからたぶん大丈夫。


こうして終活をすることで気持ちが前向きになってたりするので、気持ちが落ちた時は調べたり書いたりする。遠慮なく。


積極的に死にたいわけではない。

つらくないから。逃げたい場所にいるわけじゃないから。それだけでも幸運だと思う。

でも機会があれば死にたい。

自然なやり方で終わってくれるなら本望である。病気とか事故とか。その際痛くてもいいやっていうのはなめてるのかな。



○生きたさ


いま、生きたいと思えているか?

……少し。かなぁ。


不登校し始めた頃から生きたくなくなってた。彼がいなくなって拍車がかかった。

もう迎えたいと思える未来がない。


彼と生きる道も、研究して行く道も、失った。実現できなくなっただけならまだよくある挫折っぽい。失敗しただけじゃない。もはや興味も持てなくなった。


もう充分やりたいことやってきた。いましてることもあるけれど、生きる糧にできるほどではない。音楽とか、美味しいごはんとか、好きだけどそのために働くとかできそうにないもん。


積極的に生きられない。

生きたいと思えるようになりたいとは思うけれど。その方が生きるの楽だから。



かつては研究というやりたいことがあって、どう生きていくか見えていて、周囲にも認められ、何より実験や学問に触れることが楽しかった。


パートナーといる時間も支えになっていた。

互いの幸せを願っていた。相手のために自分も生きなくてはと思えた。

何より、私の成功を喜んでくれる人がいる。失敗を共に悔しく思い、励ましてくれる人がいる。そんなのって最強じゃん。



少しずつ、少しずつ、

最初は生きる気力を失って、

そのうち死にたいという言葉を頭の中が覚えてしまって、

死にたくてつらくて毎日泣きじゃくってた。

自分のこと考えてるのしんどいし、いつしか放棄するように学校に行かなくなった。

何もできない、何もしたくない。

心底全てがどうでもいい。

セルフネグレクトってやつ。


この時のことはまた別記事で書こう。




○生と死の狭間で


死ぬことへの抵抗感がなくなり、生きることへの渇望がなくなり、ちょっときっかけがあればすべり落ちてしまいそう。

こんなこと思いながら過ごすようになってだいたい半年、全然きっかけなんてやってこない。

誰か引き金を引いてくれないかなぁ。


自殺者が年間3万人規模なのに比べて、他殺で亡くなる人は数百人規模だ。ゼロがふたつも違う。のぞみはうすいなぁ。




生きたくなくなってしまった人間に、モチベーションを枯らした人には何ができるだろう?

働くのにも、勉強するのにも、動機がいる。


お金がないとか、何かしたいとか。それらはさらに、快楽のためだったり、生活するためだったり、自己実現のためだったりする。

根っこには生きたいという思いがあるんじゃないのか。

その生きたいという源泉が枯れてしまった人に「働け」と言っても響くはずがない。生きたくないんだよ、当然働きたくなんかない。その必要もない。生きることを疑ったことのない人たちには想像つかないのかなんて考える。




人はどんな時に生きたいと思い、また思えなくなるんだろう。死にたいという思いはどうだろう。

いまの私はどうして生きたいと思えないのか、どうしたら生きたいと思えるのか。

それを知りたいと思えることがわずかな希望なのかも……しれない。






最後にもう一度、

わたし以外はみんな生きていてほしい。