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ZIPANG-6 TOKIO 2020 清和源氏発祥の地 【川西市】 張り子に無病息災や子どもの成長、新年への思いを込めて 「須磨張り子展」須磨で生まれた創作張り子を展示

2022.12.14 13:55

【川西市】張り子に無病息災や子どもの成長、新年への思いを込めて

「須磨張り子展」須磨で生まれた創作張り子を展示




川西市郷土館(下財町4-1)で郷土玩具の張り子に魅せられて、神戸須磨張り子の制作を続けている吉岡武徳さんの「須磨張り子展」が開催されている。展示期間は1月22日(日)まで。



「須磨張り子」は吉岡武徳さんが地元の神戸で売られていた「だるまの張り子」に魅せられ、1984年に須磨で生まれた独自の創作張り子。無病息災を願うアマビエや来年の干支のウサギ、招き猫、神戸だるまなど柔らかな曲線で形作られている。


張り子は粘土の型に和紙を張り重ね作られるが、明治時代以前の和紙が糊のなじみが良いため、吉岡さんは材料となる古書を手に入れるため古本屋を回り、張り子の制作を続けている。郷土館での展示は今回で5回目。


鑑賞した人々は「どれも優しい姿をしており、心が温かくなった。世間では、まだまだコロナ禍でいろいろな制限が続いているが、張り子を見て、良い新年を迎えられそうだ」などと話していた。


郷土館について


例年、11月に開催している「郷土館まつり」。多くの人に訪れてもらうことで、郷土館に親しみを持ってほしいという思いから行っている。


川西市郷土館は、銅の製錬を生業としていた旧平安家住宅を利用して、昭和63年(1988年)11月に開館しました。ついで平成2年11月には、川西市内の小戸地区にあった洋館の旧平賀家住宅を移築復元しました。


平成7年11月には、青木・平通両画伯記念館として、ミューゼレスポアールをオープンし、同時に旧平安家住宅において、一色八郎氏のコレクションである箸の展示室を鉱山資料展示室とともに公開しています。


平成22年2月には、平通画伯のアトリエを再現したアトリエ平通をオープンし、絵画教室などを行っています。


郷土館では、通常の施設公開のほかに、各種講座、コンサート、イベントなどを開催しています。



旧平安家住宅と旧平賀家住宅は、国登録有形文化財(建造物)に登録されており、旧平安家住宅は兵庫県景観形成重要建造物に指定され、旧平賀家住宅はひょうご近代住宅100選に選ばれています。

郷土館 所在〒666-0107 川西市下財町4番1号 電話:072-794-3354



参考

2022NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、12月18日いよいよ最終回となります。

さて北条義時の運命は如何に⁈はたまた、大河ドラマファンの間で「義時ロス」が広がりそうな気配がします。

兵庫県川西市では、毎年「清和源氏まつり」が開催されています。まつりの様子を少しだけご紹介したいと思います。


※承久の乱「後鳥羽上皇(後鳥羽院)」につきましては、アーカイブリンク記事にてご紹介しておりますのでご覧ください。


川西市のまつり

清和源氏まつりについて


清和源氏まつり 八幡太郎義家公


清和源氏まつりに関わる歴史について

今から千年あまり前、第56代清和天皇の曾孫に当たる源満仲が、川西の多田盆地に移り住み、天禄元年(970年)に多田院(現在の多田神社)を創建し、清和源氏の礎を築いた。


後世、鎌倉幕府を開いた源頼朝や全国に名を馳せた源氏武将たちは、満仲の子孫であり、川西市は「源氏と武士団発祥の地」と言われている。

清和源氏まつりは、この清和源氏の祖、源満仲公をしのび、「清和源氏発祥の地かわにし」の歴史、文化、観光をPRするため、毎年開催されています。


清和源氏まつり 巴御前


清和源氏まつりは、毎年4月に清和源氏発祥の地である川西市の歴史や文化を広く市内外に発信しようと、鎧、兜に身を固めた源氏ゆかりの武将や馬上の巴御前、時代衣装に身を包んだ常盤御前・静御前、少年少女武者などが、絢爛な時代絵巻を繰り広げる懐古行列を中心とした煌びやかな歴史まつりになります。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

公益社団法人 ひょうご観光本部
〒650-8567神戸市中央区下山手通 5-10-1 兵庫県庁 1 号館 7 階 電話:078-361-7661

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧下さい。


後鳥羽院(後鳥羽上皇)像(伝藤原信実筆、水無瀬神宮 蔵)


ZIPANG-5 TOKIO 2020後鳥羽院に由緒がある伝承と文化「隠岐諸島の一つ海士町(あまちょう)[1]」
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18174785


後鳥羽上皇行在所跡(旧源福寺)

承久3年、後鳥羽上皇が隠岐に御遷幸された時、源福寺内を行宮とされ19年間お住みになられた。後鳥羽上皇は諸芸に長じられ、特に和歌を御読みになり遠島百首等の歌集を残された。

源福寺は、明治の廃仏毀釈で取り壊されたが、院の御製にある「勝田池」と「礎石」が当時を物語っている。源福寺は、別の場所に建て替えられた。


ZIPANG-5 TOKIO 2020後鳥羽院に由緒がある伝承と文化「自立・挑戦・交流×継承・団結 〜心ひとつに!」みんなでしゃばる(引っ張る)島づくり〜[2]
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18534864


大阪 水無瀬神宮 後鳥羽天皇手形(国宝 )


隠岐で19年過ごされた後鳥羽天皇60歳の春、ご自身の余命も長くないと覚悟され御自身の両手に朱印を付けしたためられた。これを書かれて2週間後にお隠れになった天皇の御意志である

「我後生を返々とぶらふべし」

との一文により、御霊をこの水無瀬の地にお遷ししてお祀り申し上げた当宮の起源となる宝物であります。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 後鳥羽天皇の源故郷~水無瀬神宮~(その1)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18848897



水無瀬神宮 御社殿と招福の風


ZIPANG-5 TOKIO 2020水無瀬神宮 ~招福の風と音と水~「見渡せば山もと霞む水瀬川夕べは秋となに思ひけむ」(その2)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/18953112



隠岐神社創建

時が経ち、昭和14年、後鳥羽院をご祭神とする「隠岐神社」が島根県民あげて創建されました。なお、この年は後鳥羽院がお隠れになって700年の年にあたります。


ZIPANG-5 TOKIO 2020 神々の島「隠岐」& 後鳥羽院「海士町(あまちょう)」総集編[3]
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/19153963


隠岐の島知夫村島津島


ZIPANG-5 TOKIO 2020 日本海に浮かぶ宝島、隠岐4島~隠岐ユネスコ世界ジオパークの魅力~(1)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/20093070


隠岐の島であなたの心と体も自然回帰へ・・・

ZIPANG-6 TOKIO 2020 ~青と緑の世界へ! 心の故郷がお待ちしています~
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/32276489



※現在、1900件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


最新の記事をご覧いただけます。

ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
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235件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

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200件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
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615件ほどの掲載記事をご覧いただけます。

ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
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