遥かなり、モテ道
Mちゃんと一緒にいると、なるほどこういう人は誰にでも好かれるだろうなあと納得する。仕事の才能があるのはもちろんであるが、美人で心配りができる。ひとりの食事の時も素敵な食器を使い美味しい料理をつくり、その背景となるインテリアへの美意識を持つ、など現代の女性だったら、かくありたいと願う理想的な女性である。
ところが恋愛になると、かなり趣が違うのだ。Mちゃんの持つおおらかさとはうって変わって、人間を見つめる奥深さと鋭さが前面に出てくる。男性を見つめる視線も何といっていいのだろうか、冷たさとか醒めた、というものをさらに通り越して人間の真実を見つめる能力を持つ人が持つ、悲哀に溢れているのだ。
私はMちゃんといると、自分が不良少女になったみたいな気になる。二人で一緒にいろいろと悪巧みをし、男の人の品定めをする。これがものすごく楽しい。
「あの人は恵美子さんに絶対気があるわよ。あんなの恵美子さんの手にかかったらイチコロでしょう」なんて、人をけしかけるのがすごく上手い。
「恵美子さんは女王気質なのよ。自分で気づいてなかっただけなのよ」
「本当⁉ 嬉しいなあ、そんなこと言われたの初めてよ」私が狂喜乱舞したのは言うまでもない。
私は大得意でマサイ族の人みたいにその場で飛び上がるように跳ねた。するとどうだろう、赤いランプがついていた足の痛みが、ピタリと止まっているではないか。花には水、女性にはお世辞である。
女性は誉められると不思議なもので、努力するし、自分でも変わっていくっていうのが分かる。誉められないとイジけてばっかりになるけど、こんな風に賞讃してくれる人が三、四人いてくれたら女性はもってキレイになれる。そしてそれが男性だったら最高だ。こちらを誉めて力づけてくれる人というのは、運という偉大なものからのお使いである。そこからすべてが始まるのだ。
春は草萌え、百花咲き、鳥鳴いて、ものみな輝き美しく見える頃。そう、恋の季節である。
ここに来る前に実は私、神社にこう祈ってきた「神さま、素敵な出逢いをおつかわしください」
Mちゃんの言葉にもおされて、私は入店後密かに〇印をつけていた男性の隣へ突進した。背が高くて品のある顔。質のよさそうなスーツをビシッと着て、アカデミックな雰囲気。すべてが調和していてエレガントなのだ。
「一杯ごちそうさせてもらってもいいですか」彼の声は私を優しく包み込む。
私はかなり想像力が豊かな人間である。よって甘い味のものが、湧き上がる。
お酒を注文するため彼が席を外している間、私は見るともなしに隣の女性グループを眺めていて、あーっと声をあげそうになった。その中の一人がMちゃんを睥睨していたからである。こんなことを言うのはまことに失礼ではあるが、この人、どこかヘン。どうしてなんだろう、、、。そんなに目を凝らさなくても、すぐに理由がわかる。
くちゅくちゅの髪をひっつめ、ろくな化粧もせず、パンツというよりズボンをはいて、なにやら暗い感じ。おまけになんとオープントウの靴にストッキングをはいたりしている。オシャレじゃないというより、しゃれっ気がまるでないおばさんだ。
おばさんというのは年齢のことではない。私が言っているのは、だらしなさと安逸に走り、何ら努力しない女性のことだ。ここまでくるとちょっと悲しくなり、いったいどうしたのーという感じになる。外見に構わない人を見るとやっぱり悲しい。そしておばさんはまるっきり女性がわからないから始末に困る。
普通だったら違う世界の人で関係ないとみるだろうが、私はそうと思えなかった。
友達思いなのが唯一の取り柄の私は彼に「ごめんなさい、急用を思い出したわ」と言い残して、すごい勢いでMちゃんの元へ戻りガードした。彼とはすれ違いとなる運命だと知ったその夜、私は神を呪った。
ところがその人は、つかつかとMちゃんに近づいてきてこう言うではないか「私はあなたみたいに外見だけの女じゃないの、中身を磨いているのよ」
私ははっきりと言う。ものすごい本物は自分の才能にこんな解説はしない。女性として自分をキレイにしておかなければならないことを忘れるほど、取り組まなければならない事に出会い、サクセスストーリーをもつ女性は、キレイな女性に対しては「美貌も才能のひとつよ」とひたすら賞で、心から楽しむ。
なぜなら、ホレボレするほどのスタイルと磨き上げられた肌と髪というのは、節制という厳しさを伴うものだからだ。女性に生まれた者なら、誰でも知っているはずだ。
女性は本当にこだわっていることは、絶対にこだわっていないと自分で思い込んでしまう。そしてもうとうに忘れていると信じている。けれども何かのはずみで、それがぽろっと心のうちからこぼれ落ちる。するともうしまうことはできない。小さなクローゼットに無理やり大きな羽毛布団を入れるように、忘却の中にぎゅうぎゅうに詰め込んでも、それはすぐにはじけ飛ぶ。そうしたらもうなすすべはない。
それほど人に自慢できることでもないが、ずっと講師なんかをやっていると、女性として今までどんな風に生きてきたか、人の顔を見ただけでコンピューター並みの早さで言うことができる。よって私はその人の心のからくりがわかるから、咎めやしない。その人の心の叫びが多重な音となって聞こえてくる。女性として、母として、妻として、勤め人として「もっと幸せになりたい」と叫んでいる声である。
この歳になって私はつくづくわかった。女性はキレイじゃなければダメ。キレイじゃなければ生きていたってつまらない。このキレイというのは、生まれついての美人というわけではない。センスを磨き、腕を磨き、体を磨いている女性のことを私はキレイな人と呼ぶ。
そしておしゃれで美人の友人を持ち、自分でも努力してさまざまなものを吸収していけば、それこそ半年で見違えるようになる。けれども“頑なさ”を友にし始めたらいっぺんでダメだ。
Mちゃんは感情を上げもせず下げもせず、その人を軽くいなす。そしてあっけらかんとアリンコのように寄ってくる男性たちと艶気をおびる空気の中で、カラカラ笑う。
モテ女は楽しいことしか考えない。そうモテるって、タフな精神と前向きな心を持って生きることよね。実はこういうタイプがすごくモテるのだということがよくわかったわ。
確かにMちゃんのモテ方というのは、普通じゃない。Mちゃんのモテっぶりを話したら、とてもこのブログ十回書いても足りないぐらいだ。私のまわりの男性はみんなMちゃんのことを狙っている。このあいだお酒が入ったときにアンケートをとったら、五人のうち二人がMちゃんを口説いていたということがわかった。
Mちゃんはどうすれば男性が自分に飽きるかよく知っている。けれどもMちゃんは男性を飽きさせることを少しも飽きていないのである。
工芸品のようなハイヒールを履いたとしても、シャンパンも明日になれば消え去るものである。が、このはかなさは、とても甘美で楽しいものだ。女性が美しくなるために欠かせない多くの要素を含んでいる。