Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

いなべ市議会議員 篠原史紀 しのはらふみのり WEB

疑り深さの原点から

2022.12.13 14:42

私は、多分、疑り深い。なぜなら、編集者であり、フリーランスのライターだから。

「篠原さん、この原稿、本当ですか?どうやって確認しましたか?再度、現地で確認していただけますか?」

キャリアある編集者や校閲担当者は、原稿を一読し、反射的に違和感を感じられるようになるものだ。私も、キャリアを積み、会社で数名の若いライターを雇っていた頃には、そんな違和感を彼らの原稿に感じ、何度も、取材現地に確認したことがある。大概、その違和感は当たり、原稿の修正をしなければ、まずいことになっていた。


ある一定部数を販売している雑誌や専門的な書籍は、発売された当日が、一番、怖い。

少しでも違うことが掲載されていたら、取材先や読者からクレームが来る。マニアからは問い合わせが来る。私も、駆け出しライターとして仕事をし始めた頃、何度か大きなミスをし、取材先や監修者に謝りに行ったこともある。時には、私たち下っ端ライターでは話にならず、版元の編集者に謝りに行っていただき、そのペナルティーとしてギャラを引かれたこともあった。それが続くと、連絡もなく、仕事が途切れてしまう場合もある。

そんなことから、私は情報や人の言うこと(特に噂のような話)に関しては、大変、疑り深い。取材し、ライティング、編集を膨大にこなしてきた結果、時には300ページを超える書籍等の編集者をしてきた結果、うん!?という違和感に敏感になった。

加えて、私は演劇人であり、学生時代は、作・演出であった。戯曲を書くため、演技指導をするため、マンウォッチングは趣味であった。微妙な表情の動き、しぐさ、反射的な反応等々、細部にまで人を観察する。その能力がないと、演出はできない。何人もが登場する戯曲は書けない。若いときから様々なジャンルの人と関わってきたのは、こどもの頃からの好奇心に加えて、演劇をするためと言っても過言でない。

こんなことを書くと、私に対して警戒する人も多くなるやもしれぬが、私の中でのオン・オフはあり、四六時中、誰に対してもそんなことはしていない。

また、人間はそもそも完璧ではない。私が、戯曲を書く時に、すべての登場人物を愛することができるのは、各自、完璧でないからである。


しかし、政治は難しい。政治家や行政は、ある種、完璧さと理想を求められる。

完璧と理想を掲げられ、大いに批判される。

まあ、それが背中を押してくれ、原動力やバネになり、私たちも突き動かされるので否定はしないし、公なリーダーの資質として、そうしたことにも対応できなければならない。また、私たちこそが、心の中に、完璧さと理想を有し、それを志としていなければいけない。

その理想像は、十人十色。正義も一つではないから、なかなか一気に前進はできないのだ。また、企業の利益のように、確実で明確な目標というものがない。その目標すらも、人により違う。

多様性とは、分断である。価値観の差異だけを見たら、そうも言えるが、宇宙から眺めた地球。我らが故郷の美しい青い星は、様々な生物や自然現象の多様性の中で成り立ってきた。

その小さな星の劇的な変化は、数億年、数百億年という長いスパーンで、人の生涯である約100年などは、まばたき以下の時間である。

だから、人間なんて大したことないのだが、人の人生は、その人にとってかけがえのないもの。そのために、私は、さらに、疑り深くならねばいけないのだろう。