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みーちゃん

Who am I ?

2018.04.05 11:03


ヨガの先生とインドの話しをしていて。

「好きで毎年ここに行くんです」と、

南インドにある、

ラマナのアシュラムのことを話したら、

「10月にはじめてそこへ行くので、

誰か行ったことのある人いないかな?」と思っていたそう。

BINGO!!!


ヒマラヤで勉強してくることが多く、

おみやげの買えるところがあまりないそう。

「この辺はちいさな店ばかりだけれど、

いいもの買えますよ」と少し紹介したら、

とても喜んでくれたので、

ついでに周辺地図を書く約束をした。


地図を書きながら、

いろんなものを見ていて、

たくさんのものが自分の中に残っていることに、

改めて気づかされた。

ひとつひとつ拾い上げると、

愛おしさに胸が膨らむ。


この土地で感じたこと、というか、

なっていた状態のことは、よく思い出す。

それが自分の知る中で、

いちばん幸せな状態だから。


こころが

落ち着いて、

ゆったりしてて、

あたたかで、

やわらかで…。


繊細さを守って、

強がらなくてもいい。

なにかに合わせて、

急いだり体裁を整えたりしなくてもいい。

世界を信頼しきった状態、かな?


山や、アシュラムで、

座って静かにしていると、

胸の奥から、

あったかい光のようなものが、

じわーーーんと広がってきて、

気づくと微笑んでいる。


それにはなんのきっかけもなくて。

ただ、起こる。

日々の生活をシンプルにして、

いろんなこだわりを忘れた頃に、

やってくる瞬間。


わたしからすれば、

たくさんの情報と事柄が行き交う、

現代社会。

そこで欲のない状態のまま生活することは、難しい。


欲がない静けさの中では、

変化も求めないし、

楽しさも、改善もいらないし、

なにかをしようと思えない。

すべてが、そのままであるだけで、よい。


その、満たされた、

意欲が起こらない状態のまま、

無理になにかをしようとするのは、

沼から這い出すような感じで、つらい。


かと言って、

静けさの中にいるだけでは、

幸せだけれども、

時間が長くなるにつれて、

退屈してしまう。←ぜいたく~


自分の中にあるエネルギーを、

なにかのカタチで使いたくなる。


だから今は、

矛盾するようだけれども、

縁のある「今」「ここ」に生きながら、

願いは持てども執着せず、

いちばん幸せな状態に、

繰り返し戻っていくトレーニングをしてる、

みたいな感じかな?


なんにもしないし、

なんにもできなくても、

ただいるだけで、いい。

いわゆる価値っぽいものを、

なんにも持ってない自分自身を、

自分で愛している状態。

そこから繰り返し、はじめること。


誰かや、何かや、

気がかりなことや、心配、不安は、

いったん忘れて。

自分の中に戻っていく。

じっと静かにそこに留まり、

愛をもって、忍耐強く、

なんどもなんども、

まっすぐに自分を見つめ直すこと。


考えを突き詰めるのではなく、

バカで、ずるくて、ナマケモノなところがあっても、

あるがままの自分を愛すること。

そこに戻れてはじめて、

誰かや何かを、

こころから愛することができる。


しんどいな…と感じてくるときは、たいてい、

自分のエネルギーのもとがその中心にないまま、

外に漏れ出ているとき。

疲れて集中力がなくなったり、

周りのことに揺すぶられ、曇ってしまい、

自分の内にあるエネルギーが見えず、

その存在が忘れ去られているとき。


そこから自分を救い出すのに、

誰かや何かがサポートになったとしても、

手足を動かして歩くのは自分であるように、

戻ってくるには、

自分の足で歩くしかない。


でもそれは、

大変なこと、というよりは、

楽になることを許すこと、に近い気がする。

そのときに、

痛みを感じるかもしれない。

かつての自分や、今の想いを切り離すから。

でも、その痛みの、強さも、時間も、

実は自分で選べるし、

切り離したあとには、

今とこれからにフィットするかたちになって、

また一緒にいられるようになる。


大切なものとの別れを繰り返すうちに、

そんな気がしてきた。



わたしにとっての幸せに、

導いてくれた存在はいろいろあるけれど。

優しく厳しい素敵なお顔の、

ラマナの存在は大きいと思う。


ラマナのことをどうやって知ったかは、

はっきり覚えていない。

でも、その顔を写真で見たときに、

「この人だ!」と思ったのは、覚えている。

やっと見つけた!に、近い感じだったな。



今でもその顔を見るだけで、

なにかを感じることは多い。

もう亡くなった、会ったこともないおじいちゃんに、

そんな風に感じることがあるなんて、

不思議なことだけれど。

それが聖人ってものなのかもしれない。



「Who am I ?」は、

ラマナの残した中で、もっとも有名な言葉。

自分の思い込みに捕らわれてしまったとき、

そこから解き放たれて、

自由なそのままの自分に戻るための、

シンプルな問いかけの言葉。


はじめはわからなかったけれど、

どんどんどんどん、沁みてくる。



ラマナも愛し、わたしも愛している、

聖なる山アルナーチャラ。

今となっては、

美しさが際立つような山ではないけれど、

いつもあるその姿を見るだけで、

心が躍る。


山の中を裸足で歩き…


山の周りを裸足で歩いているうちに…


足裏が新素材になっていた!

肉球みたいに、

皮が厚くてツルツルなの。


足裏もこんな風に変われるんだね!

新発見!

(今はもうやわらかく戻っちゃったけど)



サリーを着たときの、

新鮮なようで、

その土地にいると、

しっくりくるような感覚も、

なつかしい。



いつかまた着れたらいいな。