生きていけない程苦しい
クライアントAさんの声をご紹介します
子供の頃から
母は
私に自由に何も選ばせてくれませんでした。
服も髪型もオモチャも
社会的な性格も
時間の使い方も読む本も
進路も学校も全部決まっていました。
母は社会的に見てうちの家族が成功しているか、ということをかなり気にするタイプでした。
そのような生活の中で
ふと、
なぜ自分には自分の考えがあるのか
自分の考えや気持ちがなければ
母の言うことを素直に聞けるのに
と悩むようになりました。
母の選ぶものしか手に入らないなら私が欲しいものややりたい事が浮かばなければ苦しまないのに。
でも自分の考えはいくら頑張っても止める事が出来ません。
さらに母は
怒ると態度に出して
言葉にはしてくれません。
何を怒っているかきくといつも
「察する事ができるようになってほしいから
自分の心に聞いてみなさい」といいました
わたしの心にいくら聞いてもわからず、
でもその中で思いついたことを素直に言うと
「あなたは素直じゃない」
と言われました
母が求めてる答えと私が素直に感じる事は違って当たり前なのですが
生まれてからその環境に育つと母の言う事が真実だと思っているので自分が素直じゃないせいだ、とずっと思っていました
素直に意見を言うと素直じゃないと言われるので
自分は素直じゃないんだ、、でも自分は本当に考えだことを言ったのにそれでも自分は素直じゃないなら何が素直なのかわからない
と本気で考え悩んでいました
うちの両親は知らない事を知らないと言わない性格だったので、ずっと大人はなんでも知っていてわたしが至らないからわからないのだ、と思ってかなり自分を責めました
責めて責めて責めてさらに素直なわたしの意見は何だろうなんで自分は自分の素直な気持ちがわからないんだろう、と悩んでいるうちに
頭に沸く意見が一気に8つくらいになりました
同時に何チャンネルも1画面で放送してるみたいな感じになったのです。
例えば
ご飯何食べる?
と聞かれたら
即座に8種類くらい意見が頭に浮かびます
チャーハン
こちらがご飯何食べたいか聞き返さないと
一人でいたいのにな
いちご
夕飯だ夕飯だ
タンメン(⌒▽⌒)
かに道楽〜
犬の散歩〜〜
このようなバラバラの意見が一気に頭に浮かび
どれが自分の声なのかわからないのです
客観的に見たら
全部自分の声なのですが
私には素直な自分がわからないという思い込みがあったので一気に湧き出る意見に何が何だかどうしていいのかわからなくなりました
さらに親の意見を素直にきけないのは
自分の意思や考えがあるから
悪いのだとも思い込んでいたので
何種類もの意見が浮かんできた事自体を責めて自己嫌悪しました
私はいつも明るく、かなり自由な人だと思われており、学校の先生も自分に相談に来るような子どもでした。よく出来る、どう育てたらそんな風になるのと周りから言われた話を母から聴くと
周りの期待?に答えなきゃならないと思いました。
友達は私をちょっと大胆で他と違う人と思っていて、割と人気者だったと思います。
本音を出せる相手は殆どいませんでしたし、自分の関わり方も対等な関わりではなかったように思います。
対等になりたいのに凄いと言われなければならないという思いがどこかにありました。
繋がり方がわからなかったのです。
だんだん社会の自分像と私の気持ちにどんどん大きな溝ができてしまいました。
何を成し遂げても当たり前と思われ、更なる高いハードルがしかも私がやりたいわけではないハードルが当たり前のように設けられていくのです。
周りは凄いね、と言いますが
1番褒めて欲しい母は
出来て当然、という感じでした。
いつまでこの高いハードルが続くのかわからなくなりましたし、段々と前ほど出来ない自分にも気付き
焦りを感じていました。
本当は凄くないのに凄いと言われなきゃと
テスト前に勉強が頭に入らず泣きながら単語帳を風呂にまで持ち込み覚えられず、眠れず
学校に行くのもやっとになりました。
そのうちに日常生活が出来なくなりました。
話そうと思っても口に出す言葉が何も浮かばないのです。
8チャンネル同時進行で頭の中に放送されているのですがどれを採用していいかわからないのです。
うちは割合い裕福な家庭だったので
母の不満を周りに口にすると
私のブランドの服や名のある学校から
私が恵まれているのに文句を言っている、
そんなにしてもらっているのに
と言われて
そんなにしてもらっているのに不満を持つ自分
を責めるようになりました。
うちにいても何もしていなくても
耐えず自分を責める声に悩まされて
生きている事自体が
ただ存在している事が辛く
楽になりたい頭の声を止めたい、
と死にたくなりました。
体感覚的に
耐えず水に鼻の下まで浸かっているような気がして
溺れそうでした。
早く楽になりたくて
自殺未遂を何度も繰り返しました。
赤塚たけし先生に出会い、
カウンセリングを受けるなかで
初めて自分ではなく
母の教育にも問題があったのではないかと気付きました。
母が悪いというのではなく、自分だけのせいじゃないという新しい視点を得、さらに
はじめて自分の至らなさを責めない相手に会えたと思えました。
感動しました。
セッションを重ね少しづつ少しづつ
本当に自分は何を考えてるか
わかるようになってきました。
頭の中のごちゃごちゃチャンネルも1つに統一され
今はほとんど普通の生活が出来るまでになりました
赤塚たけし先生には
どれだけ感謝しても足らないです
自殺未遂で本当に死んでしまわなくてよかったなと今となっては思います。
今死にたい方も
1年後2年後はわからないです
私の友達は自ら命を断ちました。
亡くなったのは17年も前のことです。
私は未だたまに彼女のことを思い出します。
当たり前かもしれませんか
彼女に未来はありません。
今彼女が生きてたらどうなっていたか考えます。
亡くなった日に何かが一つでも違ければ
何かが彼女の意識を自殺からそらしていたら
例えば1本の電話でも、美味しいものでも、ペットでもなんでもいいんです、そうしたら今生きてて
どれだけたくさんの未来があったかなどと考えてしまうんです。
苦しみから逃れたくて死にたい気持ちはよくわかりますが
死ぬというのは
取り返しがつかないなと思います。
命が今あるなら是非死ぬ前にセラピーを受けてみてほしいと思います
セラピーでなくとも何かホッとする事をとりあえずしてみて欲しいです
それから自殺を考えても遅くないのではないでしょうか
雨の日しかない人生はないと思います
苦しみしかない人生なんてないのではないでしょうか
いまはザーザー降りで
晴れの日すら一生来ないように思えるかもしれません
でも今と同じにザーザー降り一択で一生を終える事もないと思います。
それにそんなにザーザー降りが続くなら
ザーザーっぷりに自分の方が慣れるかもしれません。
私に限らず生きてたら死にたくなることあると思うんです
そこをいかに踏ん張るか
そこを抜けたらまたきっと晴れるんです
今が絶対では絶対ないんです。
今を生き延びたら明日は晴れるかも
明日晴れなくても明後日晴れるかも
晴れなくても少し雨足が弱くなるかも
明日は今日よりも
明後日は明日よりも
あなたも私のように
今より楽に生きられるようになる日が来る事を願っています
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