第11章「暴力をなくす」・・・私たちは考えつづけよう
今日読んだ章は「11章暴力をなくす」
わたしたちは多かれ少なかれ「暴力」を受けています。
わたしはハラスメントなんて無縁?そんなことはないはずです。
受けていなくても、暴力という思考を振るう側としてすでに暴力に支配されているのかもしれないなと思うのです。
極論すれば社会は暴力に満ち溢れており、それがすべてを支配しているといっても過言ではないかもしれません。
「暴力」の背景にあるのは家父長主義です。
家父長主義は、上からの命令に従う思考、それらを当たり前・常識とする意識、即断即決のために暴力を使うシステム、男性、女性、こども、高齢者、障がい者のみならず、国、民族を支配し「システム」に従わせるためのツールとして「暴力」を使います。このシステムは、家父長主義思考が根底にある仕組みです。
軍隊での命令は絶対だから。
体育会系では先輩の言うことは絶対。
学校はなにがなんでも絶対に行かなければいけない。
夫の機嫌をよくするために家事を子育てを時間通り(夫)の希望どおりに。
私たちは、無思考に行動する理由としてそんなことをあげてしまいます。
でもそれらの「絶対」「ねばならない」は本当に必要必至なことなのだろうか?
軍隊(戦争)、体育会系の指揮系統、公立学校という教育システム。
それらの存在や仕組みそのものを疑ってかかる思考が私たちには必要なのでは?
そんなことを考える読書会でした。
わたしたちのほとんどすべての人のなかに、暴力や支配というツール、装置を発動させる思考がそなわっていると思うのです。
なぜなら、この国、もしかしたら世界そのものが、パトリアキーにより作動している装置だから。
これらが作動している間、女性だって被害者にとどまらない。
DVという言葉自体をもしかしたら疑ってかかるべきかもしれません。
そこにあるバイオレンスは決してドメスティックなものにとどまりません。自身より「低い位置」にあると自らがみなしたもの、弱者、小さきものたちを支配する思考が働き行動につながります。
すべてのかたちでの暴力をなくす考え方。
フェミニズムは、そう言いあらわすことができるものです。
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「フェミ読みで目醒める土曜日【朝7時〜8時】」