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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ベルエポック2-混乱の第三共和制

2022.12.17 08:51

パリコミューンを鎮圧したとはいうものの、フランスのティエール政権は安泰ではなかった。勝利した王党派は、またまた王政復古を望む、しかし王政といってもオルレアン派は7月王政の再来を望み、ブルボン派はブルボン王朝を望んでいた。この2派はうまくいかなかった。

1871年7月の補欠選挙では、王政復古を警戒する国民は、共和派を大勝させた。これを見てティエールは、穏健は共和制が一番と考えるようになった。王政復古をすると、また国民は急進的になり、社会主義者が台頭して革命となることを恐れたのである、反社会主義という点では皆一致していた。

翌73年3月、ドイツ軍がフランスから撤退すると、4月のパリ補欠選挙で急進共和派が当選して。これを見てガンベッタら急進共和主義者は勢いを増し、「真の共和国」を求めていく。反対する王党派も、やはり穏健共和主義ではダメだと攻撃を強めた。またしてもフランスは分裂した。

オルレアン派やボナパルティストも、ブルボンの正当主義のもとに団結し、議会では王党派が力を増した。そして大統領の権限を制限する。ティエールのやることは何もかも反対され、5月24日大統領の辞任を提案し、これは議会の多数決で可決された。やれやれやれ。