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Ganesha Studio

ダンス&マインドフルネス

2022.12.18 11:18

現代の日本の社会では、多くの方々が、『救いを求めて』

『宗教』と言う【検証できない『過去』と『未来』に関する『妄想』『ファンタジー』で作られた『恐怖の教え』】にすがって、大金を搾り取られています。

『マインドフルネス』は、検証できない過去と未来に関するものではなく、『今ここ』にある『現実』と言う『真理』を発見するための『方法』です。

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ワンコイン・インド舞踊カタック・超初心者クラス!
2023 /1/ 4(水)午後3時より
@ガネーシャスタジオ倉真

&オンライン!

kathak performance©2022MandalaMari & kunjubihari

★この動画は、講師クンジュビハアリのカタックです。

 簡単なトゥクラを踊っています。

★いきなり、この様なものをレッスンするのでありません、

 基礎からゆっくりはじめますので、安心して受講できます。

アラフォー・アラヒィフ・カラカンからでも習うことが出来ます。

☑運動音痴

☑体力が心配

という方でも大丈夫です。

一緒にカタックを踊ってみませんか?

カタックダンスの基礎レッスンをすることは、そのまま効果的に体脂肪を燃やすことに繋がります。

☑なんだか難しそう…

☑リズム感もないし…

☑年齢的にも大丈夫かしら?…

全く初めての方は、最初からクラスについていけるかな?

という不安を抱いてしまうもの。

しかし、初心者限定のクラスなので安心して参加してくださいね。

ダンス未経験の方、お子様、男性も歓迎します。40歳、50歳、60歳を迎える方でも大丈夫です。膝の痛みなど故障がない方でしたら大丈夫です。

体の60%から70%は水分でできています。足踏みで体を振動させることによって、体の組織を活性化させ、邪気を払い体調を整えます。

クラスの内容

・ヨガ式ストレッチ

・一定のリズムに合わせて左右の足をステップ

・足の踏み変え順を練習

・タブラ(インド太鼓)に合わせてステップ

・慣れて来たら手の振りと合わせてステップ

毎週水曜日

15時から16時(1時間)月4回

参加費

一回500円

月額2000円

会場

掛川ガネーシャスタジオ

オンライン参加OK

※オンライン参加の場合は月額(4回分2千縁)のお支払いのみとなります。

下のロゴより、お進みください。

お申し込みは↓ストアーズより

マインドフルネスとは?


一日中、仕事、義務、に忙しく動き回って、我を忘れてはいませんか?

現代人の多くの方々は、休みなく思考を続け、さらに、動き続け、メカニカルなローテーションで日々を過ごしているのが普通です。

マルチタスクに日々追われている忙しいビジネス人間、子育て中で自分の時間がないと嘆くお母さん、受験勉強などで、プレッシャーと戦っている小学生から大学生まで、様々な状況の方がいます。

ほとんどの方に共通しているのは、関係性に追われ、それに巻き込まれて、相対的な喜びと苦しみの中で生きています。

そのような人生の中で、常に勝ち続けることが出来れば、そんなに幸せな事はないでしょう。

しかし、『諸行無常』とはよく言ったもので、常に勝ち進んで行く事は容易ではありません。

現代の社会では、我々は、子供の時から、学校で、勝ち抜くことが尊いとされ、成績に順位をつけられ、そのような価値観を刷り込まれながら、成長してきました。

能力差別主義が、正しいとされ、能力のない人間は社会に必要のないもの、価値のないもの、劣悪な無駄飯食い、として否定されてしまいます。

無能な者には価値がなく、優秀な者に価値があると言う、【優生思想】が

現代社会を支配しており、今だに、動物次元の『弱肉強食』を行なっているのです。

そして

多くの人は、そのような、『戦いの世界』いわば『修羅の社会』で生きて行くことに疲れ切ってしまい、そこに『苦痛』のみを感じて生きています。

『人生は、無常なもの』というのが、知らないうちに

『人生は無情なもの』に変わり

『喜びと苦しみのモザイク』であったはずのものが、

『苦しみとさらなる苦痛のモザイク』になっている人

が多いのです。


そろそろ、そこから抜け出る時が来たのではないでしょうか?


本来、人間の価値に優劣はなく、存在そのものが 無条件で尊いはずです。
何んの理由もなく、本来、人間は、幸福であり、価値があるのです。


まず、その足がかりとして、『マインドフルネス』があります。

1日のうちのほんの少しの時間、日常生活という『心に巻き込まれた時間』

『関係性(因縁カルマ)に巻き込まれた日々』から自由になる時間を作ってみませんか?


お寺や、アシュラム、教会へ行くことだけが、神聖なる時間ではありません。

そこに行ったところで、感情〜思考〜判断という心の働きに、巻き込まれていては、

日常の空間となんの違いはなく、神聖な空間ではありません。


『マインドフルネス』は、静かに『心』と『身』を見つめることで

あなたがどこにいようと、

自分の『意識』を『聖なる時空間』にするという試みです。


さて、聖なるとか、お寺、アシュラム、教会、と言うと『宗教』を

思い浮かべる方がほとんどかと思います。

『宗教』とは、簡単に言うと、過去の人が、未来の人に向けて

こうすべきだ、ああすべきだと教えてくれたものです。

好意的に取れば、それは親切心で伝えてくれたことだと思います。


しかし、これは『真理』とは『全く関係のないもの』です。


一言で言えば

宗教とは、検証できない『過去』と『未来』に関する『妄想』『ファンタジー』で作られた『教え』です。


現代の日本の社会では、多くの方々が、『救いを求めて』

『宗教』と言う【検証できない『過去』と『未来』に関する『妄想』『ファンタジー』で作られた『恐怖の教え』】にすがって、大金を搾り取られています。


『妄想』は、誰がするのでしょうか?

私たち一人一人の持つ『心』がするものです。

そして、私たちは『心』の奴隷となり、引きづられ、巻き込まれて

生き、日常生活を送っています。


最も、人間を苦しめるものは誰でしょう?


『自分の心が作り出した非現実的妄想』です。それを作り出しているものは、自分自身の『心』です。

『マインドフルネス』は、『観察』することを通してこの『心』を

制御する方法を教えます。

『マインドフルネス』には、『方法』がありますが、

仏教に帰依しない限りは、『教え』や、『戒律』はありません。

そして『マインドフルネス』は、宗教のように検証できない過去と未来に関する

『恐怖の教え』ではありません。


『今ここにいる』ことの『真理』を自分で見つけ検証するための科学です。

それには、『今ここ=現在』に『気づいていること』を続けることが

最も有効な方法となります。


なぜ、ダンス&マインドフルネスなのか?


舞踊という動的行為と、瞑想という停止する行為は、

なんの関係もないと、思っているのが普通ですね!

しかし、

昔から、印度舞踊は、単なる個人的表現の芸術ではなく、究極の自己実現への道である。

と舞踊経典に説かれています。

それは、舞踊と瞑想は、意識と肉体のように深い関係にあるからです。

このクラスは、

印度舞踊の基礎レッスンを通して、マインドフルネスを体験するクラスです。

初心者が、普通に座ってマインドフルネスを行うと

スグに想念の波に押し流され、自ら作り出した幻想に巻き込まれて、

気がつくと時間が来てしまうことが多いものです。

また、マインドフルネスと言っても、

我々、人間の自己の二重性を意識せず、

ただ実況中継を行っても、マインドフルネスにはなりません。

しかし、

ダンスムーヴメントを組み合わせることで、

簡単に、今ここにいる【気づき】続けることができます。


人間の自己の二重性を理解する。


人間の自己の二重性を理解することは、マインドフルネスの理解に必要な鍵となるものです。

我々、人間には、『2人の私が住んでいる』とイメージしてください。

一人は『いつもの私』表層の『自我』です。

もう一人は、心の奥底にいて、『静かに観察する私』つまりこれが『自己』です。

『マインドフルネス』により、

日常における表層の【私=自我】から上昇して

意識を生み出す人間存在の最深部ある、【自己=プルシャ】に気づくのです。

この【自己=プルシャ】 こそ、生死、無常なるこの世界の一切を超越したところにある

【常住不滅の真実の私】です。


この【自己=プルシャ】は、存在する、存在しないと言う

二元性の世界を超越したあり方をしています。

そのため、

あるものは、『それは存在する』と言い

あるものは、『それは存在しない』と言い、

また、あるものは、単に『それ=タット』と言います。


【プルシャ】とは、ヨーガ哲学用語ですが、大乗仏教の用語である【仏性】と言う言葉に置き換えて考えても良いと思います。

また、神智学などでは、『真我』と言い、別のインド哲学では、『アートマン』と言います。

伝統的に仏教では、『それは存在しない』と言う立場で

『アートマン』を否定して『諸行無我、諸法無我』『無常無我』といいます。

しかし大乗仏教になると、『仏性』や、『真如』と言う概念になって復活してきます。

その後、

真言密教になると

『オーム ヴァジュラ アートマーコ アハム』

といって『アートマン』と言う概念が復活してきます。


『アートマン』と言う言葉の定義、意味は、その時代やそれぞれの哲学によって

違っています。

上座部仏教などの『アートマン』とは、多くは『魂』と言う意味で使われます。

これは、現代のインド哲学の不二一元論の『アートマン』とは意味が全く異なります。

さて、このアートマンは、本当にいるのでしょうか?


安心してください。


我々の心の奥底にいて、静かに全てを観察しているのが『それ』です。

『それ』の視線が、『心』に当たると『意識』生まれます。

一般人の我々は、この『意識』を『私』と思っているのです。

『それ』がなければ、表層の『私』は生まれてこないのです。


マインドフルネス=ヴィパッサナー瞑想 (Vipassana) は、
仏教の開祖、仏陀によって教えられました。


その、仏陀も、『自己』は否定していません。


★仏教徒の【無我説】は、仏説では無い!?


仏陀は、【五蘊は、我ではない】と言ったのであって

【我は無い】とは言ってません。

初期仏教で仏陀は、次のように【自己】の重要性を解いています!

また、上座部の長老も、【自己がなければ悟ることはできない】と明言しています。


自己こそ自分の主である。

他人がどうして(自分の)主であろうか? 

自己をよく整えたならば、得がたき主を得る。

ダンマパダ【160】


(別の訳 ↓ 忖度のある翻訳?)

自分自身こそ 自分自身の 拠(よ)り処(どころ)

他(ほか)の誰(だれ)が 拠り処となるでしょうか

自分自身を 調(ととの)えたならば

得(え)る事が 難(むずか)しい

拠り処を 獲得(かくとく)します

ダンマパダ【160】


愚かで知慧のない人は自己に対して仇敵のごとくにふるまう。
(『サンユッタ・ニカーヤ』)


たとい他人にとっていかに大事であろうとも、〔自分ではない〕他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。

(『ダンマパダ』一六六)


神が「子ほど可愛いものはない」といったのに、

仏陀は「自己(アートマン)ほど可愛いものはない」と

答えています。


〔神いわく、──〕「〔自分の〕利益を求めている人は、何を与えてはならないのか?

人は、何を捨て去ってはならないのであるか?

いかなる善きものを解き放つべきであろうか?

また、いかなる悪を放ってはならないのであろうか?」

〔尊師いわく、──〕

「人は〔利を求めて〕自分を与えてはならない。自分を捨て去ってはならない。

ひとは、善い〔やさしい〕ことばを放つべきである。

悪い〔粗暴な〕ことばを放ってはならない。

〔やさしいことばを口に出せ。荒々しいことばを口に出すな〕」

 (『サンユッタ・ニカーヤ』)


因みに、日本の神代文字文献の『ホツマツタエ』では、『それ』を『たま』と呼び

身体を『しい』と呼び、これの合体したものが『人』であるとしています。

【以上、無断転記禁止©2022 kunjubihari.com】