【SQ5】8 地を駆るは太古の遺児
「そういえば、聞いた? 八階の噂」
エスメラルダがそう切り出したのは、『カレイドスコープ』が迷宮八階に上がって間もなくの事だった。これまで探索してきたどの空間より遙かにだだっ広い荒野を見渡しつつ、ケイナが問い返す。
「噂って……?」
「なんか、ものすごい大きい象みたいな魔物が歩いてるんだって」
「どのくらい大きいんですか?」
「そこまでは聞いてないけど……でも象なんて元々大きい生き物なんだし、それをわざわざ大きいって言うとなると、かなりだよね」
「評議会よりおおきい?」
リズが両手を大きく広げながら言った言葉に、他の四人は苦笑する。評議会の建物は恐らくアイオリスの街でもっとも大きい建築物だ。迷宮では何が起こるか分からないとはいえ、いくらなんでもそこまで大きい魔物が闊歩しているなんて事はあるまい。
肩にかけた盾の位置を直しながらマリウスが口を開く。
「でもまあ、大きさはともかく噂になるような魔物がいるって事だろう? 気をつけて進まないと……」
「! なにか聞こえた」
ケイナが耳を震わせながら呟いた言葉に一行はさっと隊列を組んで周囲を警戒し始める。だが辺りに魔物の姿は無い。
困った表情でしきりに辺りを見回していたケイナがはっと北の方角を振り向いた瞬間、それは起こった。足下から伝わってくる振動……地震かとも思われたそれはしかし、断続的に、次第にその強さを増して接近してくる。足音だ。大地を鳴動させるほど巨大な足音がこちらへ近付いてきている。
やがて北側の断崖の陰から巨大な何かが姿を現す。生物とは思えないほど巨大な体躯を持つ、象、だ。
絶句する仲間たちをよそに、わあーと気の抜けた声を漏らしてリズが言う。
「評議会よりおおきい」
……そうかもしれない。もしかしたら。
◆
そんなこんなで、新たなミッションが発令された。その内容とはあの巨象を打ち倒して先に進む事……ではなく。
「うまく回り込んで先に進む道を探す、か」
岩陰からはみ出している巨大な牙を遠目に眺めながらジュディスはそう呟いて眉をひそめた。『カレイドスコープ』が今いるのは、先日初めて例の巨獣を目撃した荒原だ。
あの象――果たして本当に象なのかいまだに信じがたいが――は、その名をオリファントというらしい。レムスの言うことには遙か西方の土地に棲んでいたとされるらしく、戦時にはその巨体を活かして軍事用に育成されていたという。そのオリファントが何故この迷宮二層をうろついているのかは、本当に謎だが……。
「しかし、オリファントか……キンメリアの巨象の伝承は知っていたが、実在したとは」
「ご存知なんですか?」
「絵本か何かで見た覚えがある。だが砦を崩すほど巨大な戦象など、おとぎ話の存在だと思うだろう」
と、ジュディスは肩をすくめる。そういえばミッション受領時のマリウスも同じような事を言っていたな……とエスメラルダは思い出したが、それをわざわざ口に出す事はしなかった。何故ならこの期に及んでも彼女ら姉弟の仲は相変わらず微妙なのだ。ただでさえ危険な生物を前にしているというのに、わざわざ藪をつついて蛇を出す必要は無い。
ともかく、今の『カレイドスコープ』がやらなければならないのは、どうにかしてこの開けた空間でオリファントを撒き、安全に先に進めるルートを開拓する事だ。問題は足先が掠っただけで命が危ぶまれるような怪物を一体どのようにして撒くか、という点なのだが。
「真ん中の岩壁をどうにか使って、視界から外れて大回りして逃げる……とか?」
「どうだろう。この間もかなり距離があるのに気付かれてたみたいだったし、そのくらいで逃げ切れるかな……」
「とにかく! 一度試してみましょう。危なくなったらすぐ離脱! で!」
エールがぽんと手を打って元気よく言う。他の面々もひとまず頷いた。まず様子を確かめてみない事には、対処法を考える事もできない。
向こう側の岩壁が霞んで見えるほど広い荒野へ一歩踏み出す。ほどなくして遠くから、あの地響きにも似た足音が響いてきた。ひとまず反対方向へと進路を変え、様子を見守る……が、予想していたよりかなり早く、オリファントは一行の前に姿を現した。遠くの地面をうろうろする小さな生き物たちを、彼――もしかしたら彼女かもしれないが、そんな事はたいした問題ではない――は目敏くも見逃さなかった。巨大な柱か何かと見紛うような太さの脚で地を蹴り、『カレイドスコープ』の方へ駆け出す。そのスピードもまた想定していたより何倍も速い。
「えっ!? 待って嘘、これ追いつかれない!?」
「まずいな……」
「こっち」
リズが普段より幾分か大きな声でそう言い、隣にいたジュディスのドレスの裾を引く。少女が示した先に空間と空間を区切る扉があるのを素早く確かめたジュディスは、すぐさまリズの手を引くと身を翻してそちらへ駆けた。エールもそれに続き、最後にエスメラルダを抱えたケイナが滑り込むように扉をくぐる。
扉を閉じて息を潜めている間も、足下は激しく揺れていた。しかし岩壁越しのすぐ近くでぴたりと止まったそれは、少しのあいだ沈黙すると諦めたかのように遠ざかっていく。次第に小さくなるそれが恐らく元いた場所へ戻ったのを聞き届け、ようやく鎌を下ろしたジュディスがふむ、と顎に手を当てる。
「無理そうだ」
「いや仰るとおりで……」
山がそのまま突撃してきたかと思った……と、ケイナに抱えられたままエスメラルダがげっそりした表情で呟いた。身体の小さい彼の目には、オリファントも余計に大きく映るのだろう。
エスメラルダを地面に下ろしながらケイナが言う。
「縄張り意識が強いみたいだ。たぶん、あの広い空間ぜんぶが自分のものだと……思ってるのかも……」
「どうしてあの距離でわたしたちに気付いたんでしょう? こちらの姿が見えていたわけでもないのに」
「……謎は多いが、詳しく調べている余裕は無さそうだな」
ジュディスがふむと唸り、鎌の柄で地面に図を描きはじめる。どうやら大広間の地図らしい。今いるのはここだ、と南西の端にあたる場所に描き添えた小さな四角を指し、次いで彼女は大広間の中の二点を示す。
「ここと、確かこの辺りだな。崩せそうな岩の柱があった。倒してぶつけられれば多少隙が作れるかもしれん」
「でも、当てられる距離まで引きつけるのは危ないんじゃ」
「私が引き受ける。お前たちはその間にこちらから回り込め」
口を挟む余地もなく決めてしまったジュディスを、四人は困惑の目で見つめる。僅かに顔をしかめたリズが彼女の背中にぎゅうとくっついた。心配そうなリズの頭を撫で、ジュディスは小さく微笑んで応える。
「私より、自分の心配をしなさい。……行こう」
再び荒野へ出て、数歩北へ進む。瞬間、遠くから伝わってきたのは先程の足音より殊更に激しい地響きだ。怒っている、のだろうか。立て続けに己の領土を侵犯された事に対して――あるいは、逃げ去ったと思っていた矮小な存在がもう一度現れた事に対して。
どん、と、何かが爆ぜたのかと思われるような音を立ててオリファントは駆け出した……筈だ。今いる位置からではその姿を視認する事はできない。だが揺れと足音は中央にそびえる石壁を挟んだ向こう側から、広間の北側を東から西へ突っ切って移動してきている。ジュディスが小さく合図を出す。走り出した仲間の足音を聞きながら、彼女は手の内の大鎌をぐっと握り直した。
は、と息を吐き、吸い込む。同時にジュディスを取り囲むように黒い霧が噴き出した。霧は瞬く間に渦を巻いて彼女の手足に収束すると、手甲とブーツを覆うように凝固する。そのまま大鎌を大きく振りかぶり、いまだ周囲を漂う霧ごと、目の前にそびえ立つ岩の塊へ叩きつけた。
いとも容易く切り裂かれた岩が傾ぐより先に、返す刃で思いきり向こう側へ押す。バランスを崩した岩の柱は、そのまま倒れて向こう側へあったものへ勢いよく叩きつけられる……が、少しタイミングがずれた。反対側を通過するオリファントを狙ったそれは直撃には至らず、飛び散った岩がその胴に食い込むばかりに終わった。ジュディスは舌打ちをひとつこぼして駆けだす。
「突っ切れ!!」
改めて言われるまでもなく、既に全員が全力で走っている。奇襲に驚いたのか少しの間足を止めていたオリファントが再び動きだす。常人のそれではない速さで走ってきたジュディスが四人に追いついたのと、オリファントは逃げる『カレイドスコープ』と一直線上に並んだのはほぼ同時の事だった。巨象がすさまじい勢いで突進してくる。誰も何も言う余裕は無い。
ケイナの腕の中で身をよじったエスメラルダが短い腕を精一杯振るい、スモークの詰まった小瓶を後方に転がす。それに気付いたリズがあらかじめ喚び出していた死霊を背後へ向かわせた。ややあって爆発音。たたらを踏む音と振動。だが稼げた時間はほんの数秒だった。
先頭のケイナがオリファントの寝床へ辿り着く。少し先に、断崖の隙間に口を開けた小道の入口が見える……だが、間に合わない!
片足を軸に半回転したジュディスが振り向きざまに大鎌を振るう。爆発的に拡散した黒い霧がオリファントの行く手を阻むが、既に地を蹴っていた彼はその勢いを殺す事なく、迷わず『カレイドスコープ』の方へ突っ込んできた。とてつもない衝撃が一行をまとめてめちゃくちゃにする。鈍い悲鳴が、何かが地面を転がる音が、すべて激しい地響きに呑み込まれる。
土埃がひどい。霧を操って衝撃を殺したジュディスが乱れた髪を振って起き上がる。真っ先に目に入ったのはゆっくりと身を起こそうとするリズだ。彼女の周囲には死霊が漂っている。どうやら使い魔に守られたようだ。大きな怪我を負っている様子は無い――安心するより先にジュディスは動いていた。少女を引き起こし、小道の中へ押し込む。
ほぼ同時に空間の隅にまで吹き飛ばされていたケイナも緩慢に起き上がった。何度か咳き込んでからひと呼吸置いたところではっとある事に気付いて慌てて立ち上がった。痛みを堪えて辺りを見回す。抱えていた筈のエスメラルダの姿が無い。いったいどこで腕からすっぽ抜けたのか。もうもうと上る土埃に目を凝らし、耳を外側に動かして必死に捜すケイナだったが、は、と目に入った光景に顔を青くした。
少し離れた場所にエールが倒れている。地面に突っ伏した彼女は必死に腕に力を入れて身体を持ち上げようとしていた……が、その頭上にかかる影。脳まで揺さぶるかのような揺れが間近で発生する。エールのすぐ後ろに、オリファントはいた。
「エール!」
弾かれるように飛び出したケイナに、砂まみれの顔を上げたエールは首を振って応える。
「脚が、」
震える声で告げるとおり、彼女の右脚はだらんと投げ出されたままだ。折れたのか、はたまたそれ以上の負傷か。急いでエールを抱えようとしたケイナだったが、彼女はそれを拒んだ。どうしてと問う前に少女の指先がある一点を示す。それは彼女の後ろ、よりオリファントの足元に近い場所で……そこに転がっているのは間違いなく、エスメラルダだ。
「……あ……っ」
「ケイナさ、……はやく!」
エールが強張った声で促すが、ケイナは動けない。地面が揺れる。エールもエスメラルダも、オリファントが少しでも足踏みすれば一瞬で踏み砕かれる。だがどちらを。
真上で大きなものが動いた。リズを安全な場所に移動させ終わったジュディスが駆けてくる……刹那、ケイナの視界の端を白い影が過る。それが何なのか確かめるより先にジュディスの鋭い声が飛んでくる。
「こっちだ! 急げ!!」
その声に急き立てられるようにエールを抱き上げて立ち上がる。背後で発生した振動に足を取られそうになりつつも、ケイナは何とか小道の先へ飛び込んだ。痛みにか呻くエールを横たわらせ、振り返る。そこには以前も見た白い犬の姿があった。
カザハナはエスメラルダの襟首を咥えて引きずるようにしてこちらに向かってきた。運んできたブラニーの身体をエールの隣に安置すると、獣はクンと小さく鳴いて彼の丸い頬を舐めだす。しばらく気を失ったままされるがままになっていたエスメラルダだったが、顔面が唾液まみれになったところでようやく薄く目を開けた。
「うう……ん、……うわーっ!! 何!?」
「大丈夫そうだな。起きぬけに悪いが、エールの具合を診てくれるか」
ジュディスにそう言われ、辺りを見回してようやく状況を把握したエスメラルダは唾液でベロベロの顔のままエールの元へ向かう。まったくの無傷らしいリズが通路の奥からひょっこりと顔を出し、座り込んで尻尾を振っているカザハナに近寄っていく。ジュディスがようやく肩の力を抜いた。ひとまず、危機は脱したようだ。
武器を下ろしてエールの様子を確かめだすジュディスをぼうっと見ながら立ち尽くしていたケイナは、背後から聞こえてきた足音に肩を跳ねさせた。振り向いてみれば、そこには今いちばん会いたくなかった幼馴染の姿。
「ハル」
「お前さあ」
青い瞳の中にくすぶる不機嫌を隠そうともせず、ハルはずんずんとケイナに近付いてくる。
「カザハナが助けに入らなかったら死んでたよ。……そっちの二人も」
ハルが顎で示した先にはエールとエスメラルダがいる。ケイナは俯いた。腰部の防具を所在なさげに触りながら視線を彷徨わせる彼に、ハルは舌打ちと共に吐き捨てるように告げた。
「だから無理だって言ったろ」
エールとエスメラルダを見ていたジュディスがちらりと二人を振り向く。その視線に気付かないまま、ハルは冷たい口調のまま続けた。
「どっちか選ばなきゃいけないのに選べないまま、結局どっちも駄目にするならさ。冒険者なんてやめた方がいいに決まってるんだよ。取り返しのつかない事になる前に」
「う、う……」
「ボクはもう行く。……カザハナ!」
リズとじゃれ合っていたカザハナが立ち上がってハルの元へ駆けてくる。白犬の背をひとつ撫でると、ハルはケイナの横を通り抜けて迷いのない足取りで歩き出した……が、その背中をジュディスが呼び止める。険しい表情で振り返った青年に、ジュディスは静かな声で問うた。
「お前がその猟犬に指示を?」
「……だったら何?」
「いや、仲間を助けてくれて感謝する。ありがとう」
その言葉にハルは閉口し、眉間のシワを深くして僅かに視線を落とした。そして大きな溜息をひとつ吐くと、通路の先をそっと指さす。
「ミッション受けてるんでしょ。そっちの先に下り階段の近くに出る抜け道がある。……はやく帰って報告すれば」
早口で言い切ったハルはそのまま返事を待たずに踵を返し、今度こそ足早に去っていく。取り残されたケイナはしばし途方に暮れたように立ち尽くしていたが、やがて小さく息を吐くと深くうなだれた。
ジュディスが無言で立ち上がるとハルが示した通路の先を調べようと歩きだす。エスメラルダが盛大に顔をしかめてケイナを振り返り何か言おうとしたが、その拍子にうっかり患部に手が触れてエールが悲鳴を上げたためにそれは叶わなかった。
先程までカザハナと戯れていた場所に立ち尽くしたまま、リズはそれぞれ別々の行動に専念する仲間たちの様子をきょろきょろと眺めていた。抜け道を探すジュディスの背中と、エールに謝りつつ痛み止めの薬草を取り出すエスメラルダと、それから俯いたままのケイナとを見比べた彼女は少しばかり眉を八の字に歪め、小さく首を傾げた。
予想通りというべきか、エールの脚は骨折してしまっていた。幸い重篤な故障というわけではなく、担ぎ込んだ病院の医者の見立てではきちんと治療に専念すれば後遺症なども残らないだろうとの事である。それでも完全復帰にはリハビリも含めて二か月程度はかかってしまうようだが。
「しばらく探索は無理ですね……」
ベッドに寝転んだまま落ち込んだ様子のエールが呟く。ついさっきまで診察してくれた医者に「三日で治せませんか?」などとごねていた彼女だが、しっかり観念してくれたようだ。サイドテーブルにハーブを飾っていたエスメラルダが呆れたように応える。
「焦る気持ちは分かるけど、勝手に動いたりしちゃ駄目だからね。こういうのは無理すればするほど治らなくなるんだから」
「はい……でもわたしがいない間もみなさん探索するんですよね?」
エールの声にはどこか非難するような響きがある。どうやら自分だけ除け者にされる事に対して拗ねているらしい。だが、拗ねられたところでどうしようもない。仲間の負傷の報せを聞いて宿から着の身着のままで走ってきたマリウスが、苦笑しつつ彼女を諫める。
「元々そんなに早く先に進むつもりでもなかっただろう。一層の時のようにミッションで急かされているというわけでもないし」
「でもでも、二か月ですよ? そのくらい時間があったら次の階層まで進んでしまうかも」
「ああー……じゃあ、もし二層を突破しても、エールが復帰するまでは三層には進まない。これでいいか?」
マリウスの提案にエールはぱっと表情を明るくする。どうやらここが彼女の譲れない点だったようである。やれやれとかぶりを振るマリウスを振り返ったエスメラルダが、ところで、と話題を変える。
「エール抜きで探索するとなると、残りの五人で迷宮に入る事になりますけど……」
「…………」
マリウスは沈黙し、自身の横に立つ人物へこっそりと視線を送る。入院に関係する取り決めが書かれた書類に目を通していたジュディスは一切口を挟まないままやりとりを静観していたが、ふと顔を上げて弟を見た。ばっちり目が合ってしまったマリウスは慌ててエスメラルダに向き直ると力なく頷く。
「分かってる。明日からは私とケイナと、姉上が前衛に入る。……という事で……良い、んですよね?」
「私は構わん」
応える声はどこか突き放すような響きだ。マリウスはエスメラルダを見つめた。助けを求めるような視線である。エスメラルダは何も言わずそっと目を逸らした。ついでにエールも何気なく別の方向へ目をやった。一連の流れを見ていたジュディスが盛大な溜息を吐く。
その後ろでケイナは部屋の隅に収まるようにじっと立っていた。しばし部屋の中を見回したり仕切りの向こうから聞こえる他の患者の気配に耳を澄ましていた彼だったが、やがてがっくりと肩を落とすとそっと病室を出ていく。
一切の足音を立てずに立ち去っていったケイナに最初に気付いたのはリズだった。彼女は誰もいなくなった部屋の隅を見つめてぱちぱちと目を瞬かせ、少しのあいだ考え込むと自らも駆け足で部屋を出ていった。
ケイナは病院の入口そばの花壇のふちに座り込み、ぼうっと人混みを眺めていた。ようやく追いついたリズがずんずんとその背中に近付いていけば、彼は伏せていた耳をぴんと立てて振り返る。
「え、あ、リズ」
「ん」
ひとつ頷き、リズは遠慮なくケイナの隣に腰を下ろす。ケイナは戸惑った様子で少女の横顔を見た。
少し間を置き、リズは首を傾げながら小さく呟く。
「ケイナは……おちこんでる」
「う……うん……?」
「何したら元気でる?」
話が読めない。ますます困惑するケイナにリズは顔をしかめ、口をもごもごさせるとゆっくりと言葉を選びながら再び口を開いた。
「リズおしゃべり苦手……元気になってほしい、けど」
しゅんと細い肩を落とし、彼女は消え入りそうな声で言う。
「へんなこと言ったら、もっと悲しくなる、かも。それは、やだ……」
今まで彼女が喋った中でもっとも長いその言葉を聞いて、ようやくケイナは彼女が己を案じているのだという事に気付いた。同時に年下の少女にまで心配をかけている自分がいっそう情けなく思われ、再び耳を伏せる。横から伸びてきた腕が遠慮がちな手つきで彼の頭を撫でた。されるがままになりながら、ケイナは溜息混じりにぽつりとこぼす。
「もっと強くなりたいな……」
「ケイナは強いよ」
「力、じゃ、なくて。刀だけ上手く振れても、いざって時に何もできなかったら……今日みたいに……」
ケイナはそっと手のひらを見下ろす。自分の腕力や身体能力が他の種族より……ともすれば平均的な同胞たちのそれより優れているという事は、自覚している。今まではそれを魔物にぶつけてただ打ち倒せば良かったが、今日のような危機に陥った時、それでは誰も救えない。
下を向いたままのケイナを見てリズは悲しげな表情を浮かべた。ケイナの肩にぎゅうとくっつき、告げる。
「がんばろね」
「うん……」
「リズもがんばる」
「……何を?」
思わず問い返せば、少女は目を丸くして小首を傾げた。言ってみたはいいが何も思いつかない様子のリズにケイナは苦笑し、静かに腰を上げる。いつの間にか元の角度に戻っていた彼の耳は、背後から近付いてくる仲間たちの足音をはっきりと捉えていた。帰る時間みたいだ、と言えば、リズも跳ねるように立ち上がった。
もうじき日が暮れかかる時間帯だ。街並みの隙間から射し込んでくる光は黄金を帯びはじめている。足元にわだかまる影の濃さを視界の端に確かめながら振り返る。建物から出てきた三人はそれぞれ何とも言えない表情を浮かべてはいたが、険悪な雰囲気というほどではないようだ。
エスメラルダが盛大に顔をしかめて声をかけてくる。
「急にどっか行かないでよ。びっくりしたじゃないか」
「ごめん……」
「はやく帰ろう。今日は色々あって疲れたし、はやく休みたいよ」
そうぼやいて真っ先に通りに出ていく小さな背中を他の面々もゆっくりとした足取りで追う。明日からはまた違った環境での探索だ。しっかり休んで臨まなければ。
宿への道をまっすぐ歩いていく一行を、最後尾についたジュディスはふと足を止めて見つめた。ちょうど真正面から射す日の光に目を細め、ひとつ息を吐いて彼女も再び歩きだす。