こどもを発達的視点で視ること②
こんにちは!
作業療法士の杉本美穂です。
先日、「発達的視点」で子どもを見る意義は、
発達には個体差があることを知り、
我が子の我が子なりの育ちに気づけるようになること
と書きました。
今日はそのあたりをもう少し深めてお話し
しようと思います。
結論としては、私個人としては、正直、親に発達的視点がなくても
子どもを十分に親の持前の力で、育てられると思っている派です。
それは、子どもに障害があるとかないとか関係なく。
あれ、前回と言っていること矛盾していますね(笑)
専門家のくせに、と怒られそうですが
本当にそう思っています。
それは、1000人を超える沢山の親子、家族に出会ってきての
実感値です。
例えば身の回りに、お子さんのできふでき
(実際には出来も不出来もないけれど
あえて分かりやすく使わせてくださいね)に関わらず、
目の前の子どものそのままを楽しく受け止めて、
楽しそうに子育てしているお母さんっていませんか?
私も何人ものそういうお母さんにお会いしてきました。
どうしてそんな風に、こどもをありのままに
受け入れられるのだろう?
普通もっとこうしなさい、って言いたくなるのに
なぜ言わないでいられるの?
なぜそんなに大らかな気持ちでいられるのかな?
そんなお母さんたちがいます。
みんな子どもの生まれ持ったそのままを愛し、
いつも楽しそうに笑っています。
どうしたらそういられるのだろう?
お勉強が点でダメ、という息子さんがいるお母さんが
友人にいるのですが(お勉強も様々なので、ここではあくまで
学校で学ぶ勉強のことです)、
そのお母さんが、宿題について話していた時に、
「しょうがないよねー勉強きらいなのよ」
と言ってあっけらかんと笑っていたのが、
親になって間もない私には衝撃的でした(笑)
衝撃的というのは、あーこんな風に否定せずに
まんまを受け入れられたらいいなー
という憧れだったと思います。
もちろん、これは一つの正解ではないです。
親の在り方も自分がどうありたいか、
で決めたらいいと思います。私はそうあれたらいいなー
と思ったんですね。
私は違う!と思う方は、この先は読まれないでいいかもしれません(笑)
ただ、子育てが楽しめるかどうかが、
子どもの能力には関係ないところにあるのだ、
ということを、そのお母さんたちから感じました。
まだセラピストとして経験が浅かった頃、
そのお母さんたちは何を見ているのか?
何を感じているのか?不思議でした。
同時に何人ものあ母さんにお会いしているので、
あるお母さんには些細なことも、
別のお母さんには意地でも直したいことだったり
する、ということが分かるのです。
例えば極端な話、字が書けないことが困りごととして
上がってくるお母さんと、上がってこないお母さんが
いるわけです。
どうしてそんなことが起こるのか?
私たちは、書けない字を書けるようにすることが
作業療法だ、という時代にセラピストになりました。
ご本人家族が望もうが、望まなかろうが、
機能的に不便(だとこちらが決めつけている)なことが
治療の対象だったのです。
でも、今時代は変化してきています。
どんな不都合も、本人が不都合だと思わないと
アプローチの対象にはなりません。
もちろん子どもたちは小さいので、
親御さんが不都合だと思うかどうか、にもよります。
そして、その作業が必要となる環境があるないにもよってきます。
話は戻りますが、そんなお母さんたちが何を見ているのかな?
ということの答えの一つが、
「子どもがどうしたいか」
の視点に集中している時間が長い
ということです。
もちろん、全く他の子どもと比較しないで
我が子を育てることはなかなかできません。
兄弟がいれば、兄弟児と自然に比較するし、
集団に子どもが入れば、同年代の子と
比べることは無意識にすることです。
ただそれは、「お母さんがどう思うか」の時間です。
主語が違う、ということです。
つまりお母さんが主語の時間の割合が少ないのだと思うのです。
現代の子育ては、あまりある情報に
あふれています。
今これを読んでくださっている、子どもに関わる方も
私自身も、あふれる情報の中で子育てをしています。
あっちではこれがいい、こっちではこれがいい・・・
さまよいますよね・・・
一次情報をとりにいけ!とも言いますが、
時間がないので、すぐに自分の心配事に触れる情報に
飛びつきます。
ここも大事ですね。自分の不安ごとが先だってあるから、
そういう情報を拾いに行っているということ。
違う目線で探しに行けば、全く違う情報もありますね。
そんな風に、情報はその拾い方にすでに
自分の不安が影響しているので、
その偏った情報に、不安に不安を重ねていないか、
の自分観察はとても大切に思います。
話は戻りますが、
「子どもがどうしたいか」
目線で子育ての時間の多くを過ごすことが、
どうやら子育てを子どもの生まれ持ったものに関係なく、
楽しめる一つのポイントだと言えそうです。
そんなこと言ったって、いろいろな立場境遇のおうちが
あります。家業を継いでもらわなかやいけないのに、
代々医者の家系なのに、教育家系なのに・・・
私には全部は分かりませんが、各家庭の子育ての仕方には
いろいろな事情があると思います。
ですが、私は前提として、
「こどもがどうしたいか」を無視せず、
そのことと、自分達大人がどうしたいか、
を同じテーブルに挙げて話していくこと
が大切だと思っています。
そしてそれが、子育てを子どもの
何ができる出来ないに関係なく、大変さも含めて
楽しいものにしていけるポイントなのかなと思うのです。
冒頭の話に戻りますが、
子どもを主語にする子育てというのは、
つまり、今この子はこういう発達の段階なのね、
を受け入れていくということと近いと思いませんか?
それを感覚的に感じ取って、対話するのが得意なお母さん
というのが、冒頭に話したお母さんたちだと思います。
ただし、感覚的に感じ取るのが
苦手な場合もあります。
特に自分が感情的になりやすい、エモーショナル母さん
の場合は、相手の感じているものを感じ取れない
わけではありませんが、
感情が反応する方が早いです。秒です。
その場合は、反応してすぐに返してしまうので、
ゆっくり相手を主語にしている間がありません。
そういう場合は、知識的に「発達的視点」を
持つことが、お母さんの子育てを楽にする
ことがあるな、と感じます。
からだ(運動)の育ちの順序や法則を知ることで、
今ここか、がわかり、前はここだったが分かり、
成長を感じられることがあります。
心の育ちの段階を知り、
こういうことができるようになったんだ、次は
これができるといいのね、を知ることで
冷静に対応できることがあります。
ことばの育ちの成り立ちを知り、
なるほど、この経験が言葉をはぐくむのね、
と知ることで、焦りすぎてこどもに
つらく当たることがなくなる場合もあります。
こうして聞いていると、なんだ、
じゃあ勉強した方が良いじゃんという気持ちになっている
かもしれませんね(笑)
それでも私は、その知識はなくてもいい
又は、「子どもがどうしたいか」を理解するヒントにする
目的で学べたらいいのかなと思います。
目的が、「お母さんやお父さんが」こうなって欲しい
為に発達的視点を仕入れる
になる場合がほとんどなのです。
そうすると、平均的な獲得時期や、能力との
比較になっていきます。
せっかく忙しい日々のに加えて、
子どもの発達を学んだのに、
余計に焦って、子どもに圧をかけて、
何もしてあげられていない自分のせいかも、
なんて自分にどんどん圧をかけてしまうことも
多いのです。
まったくそんなはずはないです。
今のままのお母さんお父さんが、
今のままの自分をフル稼働させて、
子どもが今どうしたいのかな、何に困っているのかな、
これができないのね、これが伝えられないのね、
これが理解しきれないのね、
分かっているけど気持ちの折り合いがつかないんだよね、
を知ってあげるだけで最大の関わりができます。
2人羽織で、こどもの中に入っている目線で、
お子さんのことを観察してみて下さいね。
その感覚がつかめたら最強です。
どうしても難しかったら、羽織の中に入るために、
発達的視点について学ぶと
とてもいいと思います!!
目的は「子どもがどうしたいか」を知るために。
長くなってしまいました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
ではまた!
杉本美穂