2022年12月21日
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、その意味は「力のあらん限りを尽くして、あとは静かに天命に任せる」です。
「待つ」という表現は少し「期待感」があるように感じますが、実際にはどういう結果が出ようと自分がやれる事をやったのなら、その結果をあれこれと求めたり、考えたりせずに、天命に任せるのならば、出た結果を受け入れるしかないのです。
それが望まない結果だとしても、天命に任せたのならば、受け入れるのみ。
結果は自分の全て(考え方や想い、行動等)に対する評価です。
パズルで一つでも空きスペースがあれば完成ではないように、一つでも足りないものがあれば、望んだ形とは違う結果となるのは当たり前です。
一生懸命に努力して、それでもどうしても良い結果がでない、そんな時に「これほどしたのにどうして…」思うものです。
しかし、よく考えてみると、一生懸命に努力するのは当然のことではないでしょうか。
特に、自分の欲望を満たすため(欲望と言えば表現が悪いかもしれませんが)ならば、それを得るために必死になるのは至極当たり前の事なのです。
それに対して、天命が良い計らいをしてくれるだろう、そんな期待は捨てる事です。
なぜなら、天にとってあなたの欲望なんてこれっぽっちも興味のないことなのです。
人はどうしても、天とか神とか仏とか魂とか、そういう存在が願ったり、祈ったり、信じたりすれば、何かしてくれるという気持ちを捨て切れません。
願い、祈り、信じれば、何か天から良い事が降ってくる、そういう気持ちがどこかにあるのですが、それは人間の都合の良い考え方でしかないのです。
だからと言って、そういう存在が「ない」のではありません。
確かに「ある」のですが、ただ人間の都合には合わせてくれないのです。
必死に、一生懸命に物事に取り組んでいけば、確かに良い方向に運ぶ事はあります。
しかし、それは願ったり、祈ったりしたからではなく、また「これだけしたから良くしてくれる」なんて信じているからでもないのです。
良くも悪くも結果を予測せずに、やれることをやって、後は忘れる事です。
どうしても頑張れば頑張った分、結果に執着してしまうのですが、それを忘れる事ができればいいのです。
一瞬でもそういう感覚になれば、その瞬間に物事が好転する事があるのです。
良いアイデアがふと浮かぶとか、思わぬ人が手を差し伸べてくれる、そういう経験があるのではないでしょうか。
そういう事が起こる前に、自分がどういう気持ちだったのかを思い出してみることですね。