冬眠の寝息をまたぐ軍靴かな
◆五島高資 選
特選
冬眠の寝息をまたぐ軍靴かな 山野邉 茂
[選句評]
ロシアによるウクライナ侵攻が頭に浮かぶが、戦況は越冬しそうである。戦争の被害は人間だけに止まらない。もつとも、こうした状況は太古から繰り返されてきたのであって、掲句は決して時事的なものに止まらない。軍靴の蹂躙に象徴される戦争をなくし、いまこそ縄文文化における平和な共生の精神に目覚めなくてはならない。
目覚めの朝 のために
Facebook竹元 久了さん投稿記事 🔵黄帝内経❗
『黄帝内経』(こうていだいけい、こうていだいきょう、こうていないけい)は、現存する中国最古の医学書と呼ばれている。
現代の中国の全医学部はこの医学書を原点としています。
概要
『内経』の原本は残っておらず、さまざまな写本が存在する。日本では京都の仁和寺に、日本最古の『黄帝内経太素』の写本が所蔵されている。
未病(みびょう)という用語は、『黄帝内経』で初めて使用された。
「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」
既病(きびょう)とは、既に症状が出ている状態。『黄帝内経』では未病とは病気(病原体)は体内にあるのに、症状が体表面に出ていない、しかし治療しなければ早晩発症が必至な状態をさす。
『黄帝内経』は、陰陽五行説にのっとって記述されている。
中国独自の哲学思想である。
現存する中国最古の医学書としては『黄帝内経』の他に、『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)、『傷寒雑病論』(しょうかんざつびょうろん)がある。
『黄帝内経』が書かれた時代、医療は現在のように機械を用いたり、電子顕微鏡で細胞を見るなどの細かい分析を行っていなかった。その代わり、人が生きていることを「全体的に」捉え、生命の営みを緻密に診ていた。そこで得られた知見が示すのは、人と自然の関係、臓器同士の結びつき、心と身体との関連といったことであった。
病気だけを問題にするのではなく、その人の習慣や感情の傾向、食事、またはその人の住んでいる土地、季節などとの関わりから、総合的に診ていた。人が健康で寿命をまっとうするためにはどのようにあるべきか、哲学の観点から病気を考えていた。
これは最近、現代医学が目を向けはじめた「生活の質」を高めるという発想ときわめて近いものがある。身体に負担をかけず、自然のルールに従って健康を保持し、病気を克服するというものである。奇しくも、現代の生活に足りないとされている、まさにその要点がこの書物にあふれている。
今日、中医学と呼ばれているものには、漢方や鍼灸、それに気功などが含まれている。中医学とは、「中国の医学」という意味で、これらの源はすべて『黄帝内経』にある。後世の人たちが『黄帝内経』の中からそれぞれの領域を専門化したものが漢方や鍼灸、気功というわけである。当時、気功という言葉はなく、「導引按摩」と呼ばれていた。
『黄帝内経』は中医学の原点であり、総合医学といえるが、そこから様々な分野に分かれたことからもわかる通り、漢方、鍼灸、気功にはそれぞれの特徴と特性がある。
漢方は生薬などを患者に服用させることで、特定の臓器に行き渡らせ、他の臓器とのバランスを整え、経絡の流れを改善し、体内の気の流れを良くする。
漢方で使う薬の数はたいへん多く、日本の厚生労働省が認めているものはだいたい210種類くらいであるが、中国では13,260種類、772科目に及ぶ。
漢方だけで治らない場合、直接的な方法として鍼灸がある。
鍼灸は生命力である気の通り道「経絡」上にある経穴(ツボ)を刺激し、気の流れを整え、臓器の調整を行い、病気の改善を行う方法である。
熱を加えたり、圧したり、刺したりといったように直接身体に触れる方法で、当時としては、いまでいう外科手術に近い療法だったのだと思われる。むろん鍼以外にも外科的な手法はあった。解剖手術も古代に行われていた。
紀元200年頃『三国志』にも登場する♦名医の華陀(カダ)
という人物が麻酔を使った手術を行っていたという記録もある。
中国では病院に気功科が設けられ、公的な医療として認められている。しかし日本では、気功によって病気が改善した症例がたくさんあるにもかかわらず、超能力のようなものとして扱われることはあっても、医療行為としての評価を受けることは少ないのが現状である。
中国では「不通則痛」といい、気のめぐりが悪くなるから病になると考えられている。
気功は通じにくくなった経絡の中の気を開通させる手段である。漢方が薬を用い、間接的に気を通じさせるなら、気功はより直接的に経絡の詰まりを取り去り、しかも自分で体内のバランスをはかれるよう調整する。
黄帝内経の概要を簡略して説明しましたが.、🔹ここで疑問に残るのが、はたして黄帝内経が中国で生まれ日本に伝わったのか?
史実は逆で日本で生まれ、中国へ渡り、時代と共に日本へ逆輸入されたとされる。
中国と日本(縄文時代)の歴史を振り返ってみると
世界一高度な文明が日本には存在していたということが証明され、世界でセンセーションを起こしているのですが…
♦【エジプト文明は、紀元前約5000年、インダス文明は、紀元前約2600年、黄河文明は、紀元前約7000年、世界最古といわれるメソポタミア文明は、最古のシュメールでも紀元前約9000年です。 日本の縄文時代を文明とすると紀元前20000年~4000年という途轍もない古くからの文明になります。
このように日本の方が中国より長い時代文明がお解かりに、ただし、両国には交易があり、中国から様々に中国から渡ってきたのもありますが、日本から中国へ渡ったのも沢山あります。
🔷日本には縄文時代から文字があった!
日本には文字が無かったとされており、縄文土器にしろ弥生土器にしろ、模様か絵しか描かれていないと思い込んでいた!
しかしながら、改めて土器を見ると文字らしき意味のありそうな文様や記号があった。
どうも、縄文土器の派手派手しい文様には、実は意味が込められていたようだ。また、弥生土器にも神代文字と思しき記号が刻み込まれていた。
文様や記号にすれば上書きされることがなかったとされる。
以上の史実、事柄を解明された日本の医学者がおられます。
不思議に日本国内では、マスコミ (テレビのNHKスペシャルを除いて) は殆ど報道していません。一部には 『日本が世界最古の文明の発祥地』 であることを認めたくない思想 (地球全て、更には全宇宙が自らのものであり漢民族こそがその中心であるとする「中華思想」 等) が意図的に報道させない圧力を掛けているという話も聞きました。