【社長通信】ロータリーを友として
コロナ禍が日常化する中で今年も暮れようとしている。1年が本当に短く感じる。
そして無意識のうちにこの1年を振り返っている。
特に今年は1月に入院・手術ということもあり、自ずと過去に意識が向くことが多かった。10年ひと昔といわれるが、その前後を振り返りいろんなことに想いを巡らす。
10年前のあの東日本大震災は衝撃だった。さらに20年前の会社発足やロータリークラブ(以下RCと記す)に入会した当時のことなどはつい昨日のことのように思い出す。
社内報「一味同心」1月~3月号で3回に分けて私の生き様を簡単に記してきたが、ここでは20年前後の私の人生にとって大きな転機ともなったころの思いを述べてみる。
私が山口南RCに入会したのは2001年(平成13年)7月1日で奇しくも会社の建物が現在地に完成した月でした。
会社設立から3年目の4月に大内矢田から現在地に移転し、3か月後、プレハブの仮事務所を経ての新たなスタートでした。事業の方は不況下で、業務量も少なく瀕死状態。ただ、翌年開催予定の「山口きらら博」に向けて、会場となる阿知須きらら浜では突貫工事の真っ最中でもあり、少ないながらも仕事はあった。
RCへは、事務所建設でお世話になったY建設の専務さんの紹介でもあり、否とはいえず、よく分からないままでの入会でした。
毎週金曜日の例会には時間をやりくりしての出席。職業を通して社会へ奉仕するというロータリーの理念は新鮮だったが、足元がおぼつかない中でいつまで続けられるのかと疑心暗鬼の日々でもあった。山口に来て20年ほど経った頃で、病院勤務のみで交際範囲も限られていた。
入会して先ず感じたことは、私は山口では全くの他所者だったということです。
そんな中RCでの異業種交流を通じて山口、そして広島へと人との繋がりが広がっていった。
当初は昼飯を食べるためだけの出席でしたが、2年目に入ったころ突然の重責が与えられた。ロータリーのロの字も理解していないのにわがクラブからのガバナー輩出に伴う地区の役員である。
そしてロータリーの理念を研修や義務としての会議にてとことん教え込まれた。ロータリーにNOはない、YESかハイのみとのこと、後には引けません。
海外からの留学生を世話する米山奨学会の委員長です。
ガバナー年度をはさんで3年間の任務。肚を括って取り組むうちにいろんなことが見えてきた。要するにロータリー活動は自分磨きと実感できたのです。やれば出来る、これは大きな自信でした。
奨学生と一泊旅行で鞆の浦に行ったときのこと、夕食を終えたところに古賀君より「明日現場へ」との電話。
翌朝、奨学生より携帯へ、「委員長、食事です」
「今、山口です」
と返すと「…」でした。
「4つのテスト」 言行はこれに照らしてから
1, 真実か どうか
2, みんなに公平か
3, 好意と友情を深めるか
4, みんなのためになるか どうか
(ハーバートJ、テーラー)
これはロータリーの基本理念の一つですが、私がRCに入会して得た最大の収穫です。
事業を遂行する上において様々な局面で常にこの4つのテストに照らして判断するようにしてきた。このことによって少しずつ社員も得意先も増え経営基盤が整ってきた。この基本理念は、どんな時代にあっても人間として生きるための大前提と理解している。
フェイクニュースが横行する時代にあって、今こそ「四つのテスト」を、と訴えたい。
よいお年を。
代表取締役 加藤慶昭(2022年12月15日記す)