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ZIPANG-6 TOKIO 2020東京国立博物館 特別企画「大安寺の仏像」が 2023年1月2日(月・休)~3月19日(日)に開催  ~奈良の大寺の至宝を東京で大公開~

2022.12.23 06:15


東京国立博物館は、奈良市・大安寺(だいあんじ)に伝わる仏像のほか、大安寺出土の瓦(当館所蔵)などをあわせて展示し、日本仏教の源流ともいうべき大安寺の歴史を紹介する特別企画「大安寺の仏像」を2023年1月2日(月・休)~3月19日(日)に開催します。


東京国立博物館


大安寺とは

大安寺は、国家によって造営された日本最初の国立寺院です。

大安寺本堂


聖徳太子建立の熊凝精舎、我が国最古の官立寺院である百済大寺を前身にもち、南都七大寺の一つに数えられます。


百済大寺→高市大寺→大官大寺と名と所を変え、その後、8世紀初めの平城京遷都に伴って現在の地に移され、やがて大安寺と呼ばれるようになりました。


奈良時代は887名の学僧と、七重塔二基等の大伽藍を擁した国家筆頭の寺院でした。現在は癌封じの祈祷寺としても知られています。


中国、インド、ベトナムなどから来日した著名な僧侶たちが住んで教えを伝えるなど、国際色豊かな環境で多くの優秀な僧侶たちを育てた仏教研究の中心拠点として栄え、日本仏教の興隆に重要な役割を果たしました。


大安寺には奈良時代につくられた木彫の仏像群が伝わります。奈良時代の木彫像は現存作例が少なく、平安時代以降に仏像の素材として主流となる木でつくられた先駆的な存在として貴重です。いずれも一木造で、優れた身体表現や細やかな彫りに奈良時代の木彫像の特色が表われています。


この特別企画は、大安寺に伝わる仏像を東京でまとめてみられる貴重な機会となります。



この展覧会は、令和4年度日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(主催・共催型プロジェクト)です。


【主な展示作品】

1. 重要文化財 楊柳観音菩薩立像

奈良時代・8世紀 奈良・大安寺蔵

均整のとれた美しいプロポーションに優れた造形感覚がうかがえます。


楊柳観音菩薩立像



2. 重要文化財 多聞天立像(四天王立像のうち)

奈良時代・8世紀 奈良・大安寺蔵

体は重厚感に富み、甲や靴には装飾的な文様が刻まれます。


多聞天立像(四天王立像のうち)



3. 重要文化財 不空羂索観音菩薩立像

奈良時代・8世紀 奈良・大安寺蔵

木の重厚さを生かした量感ゆたかな体つきです。


不空羂索観音菩薩立像



4. 重要文化財 聖観音菩薩立像

奈良時代・8世紀 奈良・大安寺蔵

胸や腕の華やかな飾りは体と同じ木から彫り出されています。


聖観音菩薩立像


画像提供:奈良国立博物館 撮影・西川 夏永



■特別企画「大安寺の仏像」開催概要

入館方法についての詳細は、東京国立博物館ウェブサイトをご確認ください。

会期    : 2023年1月2日(月・休)~3月19日(日)

会場    : 東京国立博物館 本館11室

開館時間  : 9時30分~17時 ※入館は閉館の30分前まで

休館日   : 月曜日、1月10日(火)、2月7日(火)

        ※1月2日(月・休)、1月9日(月・祝)は開館

観覧料   : 一般1,000円、 大学生500円(総合文化展料金)

        ※高校生以下および満18歳未満、満70歳以上の方は無料。

         入館の際に年齢のわかるものをご提示ください。

        ※障がい者とその介護者1名は無料。

         入館の際に障がい者手帳等をご提示ください。

交通    : JR上野駅公園口、鶯谷駅南口から徒歩10分

        東京メトロ上野駅・根津駅、京成電鉄京成上野駅から徒歩15分

お問合せ  : 050-5541-8600(ハローダイヤル)


※会期・開館日・開館時間・展示作品・展示期間、開催内容等については、今後の諸事情により変更する場合があります。詳しくは、お問合せください。

※事前予約なしでご入館いただけます。



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使



協力(順不同・敬称略)

南都七大寺 大安寺 〒630-8133 奈良市大安寺2-18-1 電話:0742-61-6312

東京国立博物館 〒110-0007東京都上野公園13-9 電話:03-5777-8600

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


現代、日本海側は『裏日本』とか『鄙(ひな)の国』などと言われていますが、遠い昔、弥生時代(紀元前4~500年から紀元後300年くらい)は日本海側が『表日本』であり、日本海を通じて様々な交流が行われていました。


「つわぶきの里」伝説

津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名のルーツにもつといわれています。

遠い昔、山紫水明 のこの地に住みついた人々は、群生する「つわぶき」の可憐な花に目をとどめ、その清楚で高雅な風情に魅せられ、自分たちの住む里を「つわぶきの野」・・・ 「つわの」と呼ぶようになったという。


マリア聖堂は、その愛らしい名前とはうらはらに、キリシタン殉教の地である乙女峠に建つ石州赤瓦の聖堂。昭和26年建設。

キリスト教が厳禁だった明治元年に長崎から送られてきた153人の隠れキリシタンは、津和野藩の改宗のすすめに応じず、ついに拷問によって36人が殉教の道を選びました。

その際、日本で唯一、聖母マリアが降臨された地といわれています。

ステンドグラスにはその悲しい様子が描かれています。

津和野駅から徒歩20分 見学無料

TEL 0856-72-0251 (津和野カトリック教会)


津和野 乙女峠に建つ「マリア聖堂」


ZIPANG-2 TOKIO 2020~石州瓦物語 続編(その1)~「石州赤瓦の似合う町をたずねて 。日本で唯一、   聖母マリアが降臨された地 ~津和野~ 」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5585360



江津市黒松海岸の夕日(島根県)

夕凪、海風から陸風に切り替わる、まさにその瞬間・・・夕陽が一直線に波の上を渡り砂浜に消えていった。雲一つない空に連れられ到着した先は、江津市の黒松海岸。風車の連なる浅利富士の方向にゆっくりと日が沈み、それを見つめながら穏やかな時を過ごす・・・


江津市黒松海岸の夕日(島根県)


ZIPANG-4 TOKIO 2020 表日本とは日本海側だったこと知っていますか?(その1)・・・【寄稿文】日原もとこ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10889691



〜山形−山の向こうのもう一つの日本〜

日本はある意味で2つの違った国で成り立っています。一つは、巨大な工場や切れ目なく続く都市、そして東京一帯から北九州まで延々と続く高速道路から成り立っています。この意味での日本は、近年他の国々に知られるようになりましたが、たいして魅力的ではありません。生活環境が制約されていて快適ではありません。自然自体も、人間の圧力によって無慈悲にも脅びやかされてきています。

ところが、このおびただしい主要地域とは遠くない所に、もう一つの日本が存在するのです。そこには、果てしなく続く山脈や大森林が広がり、そしてあちこちに点在する村や町や小都市の住民にとって、とても快適な生活空間があります。日本の本来の姿を思い出させる美しいところです。

それは、松尾芭蕉が300 年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。山形が過去の日本であるばかりでなく将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。

山形の位置する日本海側の気候は、暖かい時期には太平洋側とほとんど変わりません。しかし、冬においては著しい差があります。シベリアからの季節風は日本海側を横切るときに湿気を吸収し、山脈の西側に多く雪を降らせます。

そこがかの有名な『雪国』です。冬期間常に5~6フィート(150~180㎝)の雪が積もっています。 私はこの「もう一つの日本」に属する山形を訪ねるにあたり、あえて晩冬を選びました。トンネルを抜ける短い線路は、私を太平洋の乾いた地面や太陽のまぶしい空から、雪に埋もれた冬の不思議な国山形に連れていってくれました。


私には、ほんの一瞬のうちに世界の半分を旅したかのように感じられました。山形の人は雪のことを言い訳し、当惑しているように思われました。しかし、私にはすばらしいことに思われました。

雪は山々や広大な山形の自然の美しさに、さらに素敵な魅力を与えてくれているのですから。私の山形への関心は、言うまでもなく、自然の美しさに留まりません。

私の学者としての経歴のはじめに、円仁(慈覚大師)の日記の翻訳や研究に多くの年数を費やしました。円仁は日本の僧侶で、9世紀に10年にわたる中国留学の間、日記を書き続けたのです。後に円仁は山形に寺を築き、その遺品は山形の歴史的財産になっているのです。もちろん、それらは私にとって興味深いものです。

山形の人々もまた魅力的です。外国人があまり訪れないので人々は外国人の訪問客には新鮮な気持ちで親切にしてくれます。

私は友人から日本でどこを見るべきかと尋ねられると、きまって踏みならされた道から一歩はずれてみるように勧めます。もちろん、東京や大阪などの大都市は日本の縮図であるから見るべきであるし、日本の歴史を残す京都や奈良のようなところも見逃せません。しかし、私は強く言いたいのです。


山形を良い例として「もう一つの日本」を見落としてはならないと。将来において自然と人間が健全なバランスをとっている、そのような「もう一つの日本」に日本全体がなることを望みます。

ライシャワー博士御夫妻立石寺来訪1988.3.1 エドウィン・O・ライシャワー(日本語訳:ハル・M・ライシャワー)・・・この碑の出典: S63年に山形女性グループ「風」に寄せられた英文本「YAMAGATA」の寄稿文より引用篆刻された。


山形 月山近く雪解けの5月  日原もとこ撮影


ZIPANG-2 TOKIO 2020「山の向こうのもう一つの日本【寄稿文】日原もとこ」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4539875



お水送り(おみずおくり)

3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて、毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。

奈良のお水取りが終わると春が来る。関西の人々は、毎年この春の兆しを待ちわびます。この奈良東大寺二月堂のお水取り(修ニ会の「お香水」汲み)は全国にも有名な春を告げる行事ですが、その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて奈良東大寺二月堂「若狭井」に届くといわれています。(両市は、この天平時代からの1,200年の歴史の輪廻により、昭和46年より姉妹都市盟約を締結しています。)


小浜 お水送り


ZIPANG-2 TOKIO 2020~1200年以上続けられてきた伝統~「小浜 神宮寺『お水送り』から奈良 東大寺『お水取り』へ(その5)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4822947



薬師如来坐像(国宝)

木造薬師如来座像(平安後期、像高144.5㎝)

平安時代末から鎌倉時代初頭にかけての過渡期的な作風の一例と推測されます。

寺伝では、平安初頭、勅命をたまわって北陸巡行の途にあった坂の上田村麻呂将軍が、霊夢の導きによって、老翁の命ずるままに棡の老樹から老翁が掘りだした霊像が、即ち当寺本尊の薬師如来、その両側に待立する降三世明王、深沙大将の3体であると、伝えられています。その度、3度に及ぶ火災によってすべてを焼失し、現存する本尊の薬師如来も、その後の造像にかかわるものです。

住所 福井県小浜市門前5-21

舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で13分

北陸自動車道 敦賀ICから車で60分

  

小浜 明通寺 薬師如来坐像(国宝)


ZIPANG-2 TOKIO 2020「神仏習合~世界遺産をめざして~小浜(その6)」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/4827956



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