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波宮 遥's Ownd

毎日働き続けて急に死んだ父親

2022.12.22 13:26

ほぼ年中無休状態で働いていた父親。

年末年始の5日間くらいとお盆の3日間くらいに休む程度で、それ以外はずっと働いていました。


家が貧しかったため中学を出たらすぐに東京の酒屋へ丁稚奉公に出されました。

でもそのお金も自分のためにはあまり使わず、ほとんど家に仕送りをしていたそうです。


ずっと働くのが当たり前というのが染み付いているような人でした。

休み方も遊び方も知らなかったとも言えるのかもしれません。


それから地元に戻ってからは左官業を営んでいました。

案外気楽に趣味というくらいに仕事をしていたところもあったと思います。

ただ本当に毎日働いていました。

休みたいと愚痴を口にしたことなど一度もありませんでした。

寝込んだ姿も見たことがありません。

そんな日常が当たり前の人が調子が悪いと言って病院に行ったら、不治の病の宣告をされ一週間もたたずにこの世を去りました。

60歳でした。


本当にあっけなかったです…


当時まるでこの状況が受け入れきれなかった…


死ぬ間際で自分の将来のことをやたらと心配くれていたことを母から話されとてもショックでした。

その当時僕はずっと社会不適応者だったので…


その後罪の意識を背負いながら社会適応出来ずに何年か過ごした後に、命を断つか真剣に生きるかの選択をして占い師になりました。

命を断つという選択をする前に真剣に生きようとしなかったのに、向こうの世界で会いたくはなかったんですよね。

なので真剣に生きてみようと思えたのもあります。

すると結果が出始めました。


その後占い師をやめ今の仕事へと移り変わっていったのですが、父親が亡くなった理由が分かりました。

先祖の因縁を全部自分自身が被ったのです。

本人は死ぬ前になんで自分はこんな形で早く死なないといけないのかと口にしていたそうです。

主観的にはそうでしょう。

ただ魂は学びとして自己犠牲を選んだようです。


本当に最期まで尽くすだけの人生であったように思います。


父はあまり言語の得意な人ではありませんでした。

言葉でなにか伝えてもらったことはあまりありません。


働くということはどういうことなのか?

先祖の因縁と向き合うこととはどういうことなのか?

何処かで言葉ではなく背中で教えてくれた人なのかもしれないと今になって思えてきました。


本当に有り難い存在であったのだと心から感謝したいと思いますし、再度見習って生きる糧にしていきたいところです。