筑波山
https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1243 【筑波山】より
八溝やみぞ山地南端に位置。紫し峰ともよばれる。北は現真壁まかべ郡真壁町、南は筑波町、東は新治にいはり郡八郷やさと町。男体なんたい峰(西峰)と女体によたい峰(東峰)からなる双耳峰で、標高は八七五・九メートル(東峰)。山頂付近を御幸みゆきヶ原といい、東のつつじヶ丘を経て東南の風返かざがえし峠・不動ふどう峠へ続く。筑波男神・筑波女神の鎮座地として信仰を集め(筑波町の→筑波山神社)、その山容は古くから関東の名山として尊崇され、富士山と好対照の山として眺められてきた。山頂からは関東平野を一望にする。花崗岩と斑糲岩が古生層を突破って出現した山で、造山の歴史は富士・日光より古く、太古には関東唯一の存在であった。山中よりの水系は男女みなの川などがあり、日本蟇蛙・衝羽根などの動植物が生棲している。
「常陸国風土記」に「風俗の諺に、筑波岳に黒雲挂かかり、衣袖漬ころもでひたちの国といふは是なり」とあるほか、筑波郡の項に
それ筑波岳は、高く雲に秀で、最頂は西の峯崢しく〓く、雄の神と謂ひて登臨らしめず。唯、東の峯は四方磐石にして、昇り降りは〓しく屹てるも、其の側に泉流れて冬も夏も絶えず。坂より東の諸国の男女、春の花の開くる時、秋の葉の黄づる節、相携ひ駢〓り、飲食を齎賚もちきて、騎にも歩にも登臨り、遊楽しみ栖遅あそぶ。其の唱にいはく、
筑波嶺に 逢はむと いひし子は 誰が言聞けば 神嶺 あすばけむ。
筑波嶺に 廬りて 妻なしに 我が寝む夜ろは 早やも 明けぬかも。
詠へる歌甚多くして載車のするに勝へず。俗の諺にいはく、筑波峯の会に娉つまどひの財を得ざれば、児女とせずといへり。
などの記事がみえ、筑波山〓歌(歌垣)の様子が伝えられる。「古事記」景行天皇段の日本武尊東征譚に
新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
とうたひたまひき。爾に其の御火焼みひたきの老人、御歌に続ぎて歌曰ひしく、
かがなべて 夜には九夜 日には十日を
とあり、「日本書紀」にも同様の記事がみられるが、この片歌問答が連歌の起源とされていたため、連歌は「筑波の道」とよばれた。「万葉集」巻三には
筑波岳に登りて、丹比真人国人の作る歌一首并に短歌
鶏が鳴く 東の国に 高山は 多にあれども 朋神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と 神代より 人の言ひ継ぎ 国見する 筑羽の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば まして恋しみ 雪消する 山道すらを なづみぞわが来る
反歌
筑羽嶺を外のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来るかも
とあり、筑波山は国見の山とも考えられていた。また
筑波嶺に登りて〓歌会をする日に作る歌一首短歌を并せたり
鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 未通女壮士の 行き集ひ かがふ〓歌に 人妻に 吾も交はらむ あが妻に 他も言問へ この山を 領うしはく神の 昔より 禁めぬ行事ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな〓歌は東の俗語にかがひと曰ふ
反歌
男の神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れ通るともわれ帰らめや
右の件の歌は、高橋連虫麿の歌集の中に出づ。 (巻九)
筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣みけししあやに着欲しも (巻一四)
など多くの歌が詠まれ、「古今集」「後撰集」「拾遺集」「詞花集」「新古今集」「源氏物語」にも筑波山が取上げられる。また山麓の水田地帯も「万葉集」巻九に
筑波山に登る歌一首短歌を并せたり
草枕 旅の憂へを 慰もる 事もあるかと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花ちる 師付しづくの田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長きけに 思ひ積み来し 憂へは息みぬ
反歌
筑波嶺の裾廻すそみの田井に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
とあるほか、「新拾遺集」にも「筑波嶺のすそわの田居」の歌がみえる。
古代の筑波山は山岳宗教の場でもあった(筑波町の→中禅寺跡)が、平将門の乱では将門勢と良兼勢の争いにも登場し、「将門記」に「十九日ヲ以テ、常陸国真壁郡ニ発向ス。乃チ彼(良兼)ノ介ノ服織ノ宿ヨリ始メテ、与力ノ伴類ノ舎宅、員ノ如ク掃ヒ焼ク。一両日ノ間ニ件ノ敵ヲ追ヒ尋ヌルニ、皆高キ山ニ隠レテ、有リナガラ相ハズ。逗留ノ程ニ、筑波山ニ有リト聞ク」とある。
筑波山神社・中禅ちゆうぜん寺を中心にして筑波山周辺は栄え、多くの文人墨客や一般の登山者を迎えたが、幕末・維新に重大な変化が訪れた。元治元年(一八六四)三月には藤田小四郎らを中心とする水戸藩尊攘派の天狗党による筑波山挙兵があり、同志は一千人を超え、中禅寺周辺に集まった。一時は下野太平山へ移陣したが、再び筑波山へ戻り、周辺各地で軍資金を調達した。この間の推移を、筑波山の住人であった塚本勇吉はその日記に克明に記述している。昭和四四年(一九六九)水郷筑波すいごうつくば国定公園が発足し、観光化が急速に進められ、ケーブルカー、ロープウェー、有料道路(筑波スカイライン、パープルライン)などの整備によって四季を通じて登山・観光客が訪れている。