バルトーク作曲『青ひげ公の城』
血なまぐさい
愛の物語の秘密
455時限目◎音楽
堀間ロクなな
バルトーク・ベーラ(ハンガリーでは日本と同じく姓・名の順)が作曲した唯一のオペラ『青ひげ公の城』(1911年)には、構成上の欠陥があるのでは? と、わたしはかねて疑問を抱いてきた。
傲岸不遜な貴族、青ひげ公が新妻のユディットを連れて自分の城へ帰ってきた。他にひとの気配のない城内は深い闇に包まれ、やがて固く鎖された七つの扉を見つけると、ユディットは夫にせがんで手にした鍵でひとつひとつ開けていく。そこには、青ひげの血なまぐさい過去を解き明かす武器や戦利品の数々とともに、最後には囚われの身となった前妻たちも現われて、ユディットもまた城の奥深く取り込まれていく……。ソプラノとバリトンによってうたわれる対話劇は、むしろあまりにもシンプルに男と女の愛のエゴイズムを象徴しているとも言えよう。しかし、この結末に至ったふたりが一体、どこでどのように出会って結ばれたのか、前史がまったく不明のせいでただの酔狂なカップルにしか見えないのだ。
だからだろう。ハンガリーの詩人バラージュ・ベーラが台本を書き上げ、若い仲間のバルトークとコダーイ・ゾルターンに作曲を求めた際、コダーイのほうは即座に断ったのも、また、バルトークが腕まくりして書き上げ国内のコンクールに応募したところあっけなく落選したのも、こうした弱点が災いしたのではなかったろうか。実は、そこには作品の成立にまつわる事情があったとわたしは睨んでいる。
バルトークはブダペストの王立音楽院の学生だったころ、17歳年上のドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』(1896年)に感化されて、自分でも祖国の革命家を題材とした交響詩『コシュート』(1902年)をこしらえた。その崇拝の相手が、今度はオスカー・ワイルドの台本に作曲したオペラ『サロメ』(1905年)を発表すると、さらに大きな衝撃に揺さぶられてバルトークが取り組んだのがこの『青ひげ公の城』なのだ。したがって、両者のあいだには双生児のような血縁関係を見て取ることができると思う。
もともとは『新約聖書』のエピソードにもとづく『サロメ』では、古代イスラエルのヘロデ王を籠絡して王妃となったヘロディアスの娘サロメが、かれらの不義を告発して捕らえられた預言者ヨカナーンに対して野放図な性的欲望を抱き、やはりソプラノとバリトンによりこんなやりとりが交わされる。
サロメ「私は接吻せずにはいられない。お前のその口に接吻させておくれ、ヨカナーン」
ヨカナーン「ならん。恥を知らぬか、ヘロディアスの娘」
自分の誘惑が断固拒絶されると、サロメは七つの扉ならぬ、七つのベールの踊りをストリップまがいに舞って、その代償としてヘロデ王にヨカナーンを殺害させ、切り取った生首に接吻を果たしたところでみずからも処刑される。一方、もとはヨーロッパの古い伝承に由来するらしい『青ひげ公の城』では、新妻ユディットが禁断の扉の鍵を求めて青ひげ公にこんなふうに迫る。
ユディット「青ひげ、鍵をちょうだい、鍵をちょうだい。愛しているのよ!」
青ひげ公「お前の手に神の祝福があらんことを、ユディット」
双方を対置してみると、どちらのカップルも基本的に同じ構図なのは明らかで、サロメのセリフをユディットが、ヨカナーンのセリフを青ひげ公が口にしてもほとんど違和感はないだろう。すなわち、バルトークの頭のなかには、もし『サロメ』においてサロメとヨカナーンのあいだに愛が成り立ったとしたらどんな状況が待ち受けているか、そうした続編の位置づけで『青ひげ公の城』を仕上げる意図があったのではないか。聖なる権威を主張していた分別盛りの男が、若い女の燃え立つ欲望をいったん受け入れたとたん、女は男の虚飾のベールを徹底的に引きはがすことにこだわり、男は無残な正体を露呈させることによって女を呪縛してしまう、と――。
むろん、以上はひとつの仮説に過ぎない。だが、そうやって『サロメ』の前段に『青ひげ公の城』を接続させると、十全な完成を見たかのように、俄然まばゆいばかりの説得力を発散するのをわたしは愉しんでいる。