クリスマス小説を読む日
こんにちは。
今年最後の日曜日、そしてクリスマスでございます。
毎年クリスマスからあと6日で今年が終わるわけなので、クリスマス=最後の〇曜日なんだなとどうでもいいことを思ってみたりします。
そんな適当なことを言いつつも、クリスマス特集をやらないわけにはいかない。
ポラン堂古書店にも公式ツイッターが呟いております通り、クリスマスコーナーも設けられ、クリスマスになったら推したいね、と春から先生(店主)が仰っていた本や装飾がまさに今いきいきと並んでおります。
クリスマスを過ぎたら翌日以降残さないと強く仰っていたコーナーですので、まだお越しでない方、本日しかありません。どうぞお越しくださいませ。
毎回3作紹介している私からもクリスマスにまつわる小説を3作、ご紹介させていただきたいと思います。いろんな楽しい予定ですでに埋まっていらっしゃる方はそちら優先で、しかし、もしクリスマスなんて持て余すなぁという方がいらっしゃれば、本日ならではの本の読書なんていかがでしょう。ぜひ参考までに。
チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』
クリスマスと言えばの一冊だと思いますが、実はこの記事を書くにあたり初めて読みました。
ポラン堂の写真にあるものと違い、新潮文庫版となります。新潮文庫だと訳者が朝ドラでお馴染みの村岡花子さん。ちなみに、何度となくカバーデザインは刷新されておりまして、私の手元にあるのは平成初期のもの、タイトルも『クリスマス・カロル』だったりします。
キャロルとは礼拝で歌われるような、通常、祝歌、頌歌と訳される賛美歌の一種ですが、実際にはキャロルと言えばクリスマスキャロルという使い方となるそうです。宗教的で外国的と言えばそうですが、稲垣潤一さんの歌にあるように街中で聞こえるような世俗的なイメージで間違っていないというように感じます。
さて、ディケンズの『クリスマス・キャロル』。1843年、日本がまだ江戸時代であった頃にイギリスで出版された古典と扱っても違和感のない作品です。
この季節の本屋での存在感は言うまでもないと思いますが、何せ読んだことはなかったもので、まず驚いたのが主人公が老人という点。クリスマス・イブに、ケチで人と関わるのが心底嫌いな老人・スクルージの前に亡き友人のマーレイの幽霊が現れます。
和やかに思い出話などできる雰囲気ではなく、マーレイの幽霊はなかなか深刻な様子で、鎖を引きながら、自分のようにならない為に三人の幽霊に会うように言います。三人の幽霊が順番に訪れるから、彼らに従うようにと伝え、去るのです。その予言どおり現れた幽霊についていき、スクルージは多くのクリスマスに触れることになります。
約200年も前のイギリスとはいえ、クリスマスのイメージは変わらず、それぞれの家庭や子どもたちのクリスマスが描写されることの切なくも賑やかな感じはクリスマス小説ならでは、ですし、この作品における私を惹きつけたところは最初のマーレイにあった「鎖」です。本当に恐ろしいことは何か、マーレイがスクルージに避けなければならないと諭したものは何だったのか、大人も子どもも考えさせられる名作です。
有川浩『キャロリング』
たとえベタでもみんなが求めるラブストーリー、ラブコメを書かせたら右に出るものはいないというほど、ファンが多い人気作家有川浩(今の表記は有川ひろ)さんのクリスマスストーリー。
主人公・大和俊介が務める子供服のメーカー『エンジェル・メーカー』はクリスマスに倒産することが決まっています。とはいえ会社は「クリスマス倒産」をすでに受け容れ、悲壮感はそれほどではなく、入口に【エンジェル・メーカー終焉の日まで後20日!】のようなカウントダウンがホワイトボードに書かれているのも明るい要素です。
会社に対する悔いというのは主人公にも見当たらないのですが、彼には同僚であり元恋人の柊子に対する未練、心残りがあるのです。交際が順調であった二人ですが、いざ結婚や子どもの話になるとどうしても歩幅を合わせることができなかった、というのが別れた原因でした。大きなところとして、俊介には暴力をふるっていた父親がおり、その家族関係を理由にした立場の違いが障害になってしまったのです。
そんな彼ら、倒産予定の『エンジェル・メーカー』に現れたのが航平という少年です。会社には子育てサポートの事業として学童が併設してあり、そこに通う子どもたちとの交流もあります。幼い頃の出来事から家族や子どもに対し斜に構えている俊介ですが、期せずして、航平の抱える家族の問題を知ってしまう。また、子どもが好きで心根がまっすぐな柊子も航平の問題を知り、彼を助けようと動き始めます。
子どもを助ける大人をメインに置きながらも、互いへの想いや心配を滲ませる俊介と柊子が見どころとなる作品です。最初の一頁目で銃口が向けられているシーンから始まるのもなかなかびっくりすると思いますが、それほど物騒な物語ではありません。
クリスマスの多幸感が味わえる一冊だと思います。
森見登美彦『太陽の塔』
森見登美彦氏デビュー作であり、私個人としても最も好きな森見登美彦作品。何度か友人にプレゼントしておりまして、その方が読んだのかどうかはわからないんだけども文庫の裏にある「定価:本体400円(税別)」は自然と記憶に残っています。古典でもないのにリーズナブル過ぎる。本編の「私」はあんなに必死だったのに。こんなに面白いのに。
森見氏には今やお馴染み、京都の大学生を主人公にした作品です。華のない大学生活を送っていた「私」だが三回生の夏、「恋人」なるものができてしまったのです。彼女の名前は「水尾さん」。一回生の後輩で、知的で、可愛く、奇想天外で、支離滅裂で、猫そっくりで、やや眠りをむさぼり過ぎる、実に魅力的な女性ですが、ただ一点残念のこととして、あろうことか、「私」を袖にしたのでした。
出会ってから長きにわたり「水尾さん」研究を自身の専門もそっちのけで続けてきた私。突然の拒絶によって、研究は打ち切りと思えましたが、一度手に付けた研究を放棄することは良心が許しません。幸い彼女の協力がなくとも、培った想像力で研究は成り立ちますし、大学構内で彼女を観察することもできます。副次的にではありますが、「彼女はなぜ私のような人間を拒否したか」がわかるかもしれません。ともかく断じて未練などではなくストーカーでもなく、感情の糸断ち切り研究者として研究を続けることにしたのです。
……という、痛快なあらすじです。
タイトル、表紙を飾る「太陽の塔」。主人公が畏敬を持つ対象であり、彼女との思い出の場所でもあります。
そしてクリスマス。上記に述べた事情もありなんやかんや悶々と過ごす独り身の主人公にクリスマスが迫ります。友人の飾磨は主人公を含む同胞たちに決起を呼びかけます。「恋愛礼賛主義の悪しき習合まで、許してやる筋合いはない」と、「聞きたくもない幸せの謳歌を聞かねばならぬ義理などないのだ」と、「幸せのありかなんぞ教えていらん、私の幸せは私だけのものだ」と、「クリスマスイブ、四条河原町を震源地として、ええじゃないか騒動の再現を提言する」と……。
アンチクリスマスの潮流にいながらも、恋人がいた時期を経た主人公はどうするかという実に見所の多いストーリーです。何よりも好きなのがラスト数頁の最後の回想です。どんなに「黒髪の乙女に焦がれる主人公」が森見登美彦作品に現れようと、この部分の切なさ愛しさには敵わないように思えます。ぜひとも読んでいただきたい。
以上です。
温かく美しいクリスマスに浸れるものもあれば、クリスマスなのに、というように不幸や物騒や切なさを展開する作品もあり、イベントのイメージが付きやすい分、話題の尽きないテーマと言えそうです。
さて、今年最後の日曜日ということで、今年最後のブログ記事となります。
ポラン堂古書店開店から、勝手に始めさせてもらった応援ブログですが、回を増すごとに記事の分量がコンパクトの殻が一つまた一つとはずれ、なかなか読んでいただくのも難儀されるボリュームになっているのではないかと思います。来年はちょっと考えたい。申し訳ありません。
ともあれ、ポラン堂古書店とその店主、許可もなくサポーターズと呼んだにも関わらず協力してくれた友人たち、記事を読んでいただく方々のお声、そして何よりたくさんの素晴らしい本によって、例年にも増して読書を身近に、大事にすることができた、充実した一年でした。
年明けは、やはりちょっと1/1はお休みをいただきまして、1/8を最初のブログ更新にしたいと考えています。
来年もよろしくお願いします。