第4回十字軍2最強教皇インノケンティウス
2018.04.09 13:20
1198年、中世の教皇権絶頂期を創りだしたインノケンティウス3世が座についた、若干37歳。政治的手腕を如何なく発揮した教皇だが、実は学究肌だったという。しかし教皇権が最高の権威ということにはゆるぎない信念をもっていた。彼はこの時代の主な事件にはすべて関わっており、彼の時代といっていい。
教皇座について彼はすぐ、第4回十字軍を提唱した。そのとき、教皇が「全免罪を与える」と述べた。これまでは免罪とはいうものの、教皇は神にお願いするだけの立場であった。しかし彼の時代より、教皇が神から全責任を負うと考えるようになる。「ペトロの代理人」ではなく「キリストの代理人」となる。
この免罪効果により1199年11月、エクリで行われた馬上槍試合の後、フランス諸侯が志願したのを皮切りに、続々と志願者が集まった。しかし金の工面がつかない。教皇は特別税を課したが抵抗が強くなかなか集まらなかった。そこでヴェネツィアを取り込み、獲得領土の半分を引き渡すことで合意した。
ところがその頃、アイユーブ朝は、ヴェネツィアと、イスラムとの自由貿易を認める代わりに、軍人は輸送しない、という秘密協定を結ぼうとしていた。この二股膏薬は、十字軍を思いもよらぬ方向に脱線させるのである。