【本所②】北本所代地町
2018.04.10 03:38
町名:北本所代地町
読み方:きたほんじょだいちちょう Kita-Honjo-Daichichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「北本所」
現町名:墨田区石原三丁目、太平二~四丁目、錦糸四丁目
概要:「代地」とは、御用地となって召し上げられた土地の代わりの意。法恩寺前(横)続き、吉岡町続き、柳島町続きの3ヶ所があった。法恩寺前(横)続きは1693(元禄6)年、吉岡町続きは1693(元禄6)年11月、柳島町続きは1693(元禄6)年12月に御用地となる。1713(正徳3)年に町方支配になり、代官所との両支配を受ける(備考)。1828(文政11)年の家数は、法恩寺前(横)続き8軒、吉岡町続き16軒、柳島町続き町人家作なし(書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、法恩寺前(横)続きは本所太平町二丁目、吉岡町続きは本所吉岡町一丁目、柳島町続きは柳島町に編入となり消滅。現行の石原三丁目、太平二~四丁目、錦糸四丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』では「現行の石原3丁目、太平2・4丁目、錦糸4丁目」とあるが、『本所絵図』と『北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形』を見る限り、現・太平三丁目にも「北本所代地町」の名が見えるので間違い。なお、柳島町続きはどの地図を見ても確認できないため、そこが現行の太平四丁目、錦糸四丁目のうちであったことは不明であるが、そのまま掲載した。
撮影場所:北本所代地町(本所吉岡町続き北本所代地町)