【本所②】南本所出村町
2018.04.10 03:59
町名:南本所出村町
読み方:みなみほんじょでむらちょう Minami-Honjo-Demurachō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「南本所」
後身:本所太平町一・二丁目
現町名:墨田区太平一~三丁目
概要:葛飾郡西葛西領のうち。貞享年間(1684~1688年)、南本所村のうち竪川通り辺が召し上げられ、1693(元禄6)年に法恩寺西側に与えられた代地と、1705(宝永2)年に法恩寺東方続きに下付された代地の2ヶ所を「南本所出村町」と称した。なお、『北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形』では、法恩寺の西に1ヶ所、本所永隆寺門前の西に1ヶ所、法恩寺の東から現・本所四丁目交差点までの間に3ヶ所、計5ヶ所が、『本所絵図』では、法恩寺の西に1ヶ所、本所永隆寺門前の西に1ヶ所、法恩寺の東から現・本所四丁目交差点までの間に1ヶ所の3ヶ所存在する。
1713(正徳3)年から町奉行・代官の両支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数は70軒(町方書上)。検地は1732(享保17)年、反別は8反2畝3歩。石高は9石8斗5升2合(備考)。俗称として「法恩寺前」、「入会町」ともいった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、本所太平町一・二丁目に編入となり消滅。現行の太平一~三丁目。
※『角川日本地名大辞典』では、「現行の太平1丁目・錦糸1丁目・横川1丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:南本所出村町