いのち
今日、カウンセリング受けていて、僕の中のより深いところで理解できたのは、僕は「いのち」に魅了されているということ。
この青い惑星という生命体のいのちや、僕の知っている鳥や花や動物や樹などのいのち。
人を見つめた時に見える、外見の造形の奥にある美しさも、僕はそこに「いのち」をみて、いのちと出会っているんだなと。
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「なににいのちが見えて、なにには見えないのでしょう」と問われて、ちょっと面白かったんだけれど、たんに無機物有機物とか、自然のものと人工のもの、とかではない。
たとえば僕は10円玉にはいのちが見にくいけれど、MacとiPhoneには多少なりともいのちを感じるんですよね。
それで気づくのは、ひとつには、いのちを感じる対象とはコミュニケートできている感覚がある、ということ。MacもiPhoneもコミュニケーションが通じる感覚があるし、僕が科学者やっていた時の実験装置も僕が大事にメンテナンスするほどに、いのちが吹き込まれていった。
そして、もうひとつには、人工物でいのちを感じるものは、愛で創造されていることがわかるというか、作り手の愛がそのものをとおして僕に伝わってくる感じがあるというか。
まあ全ての人工物には愛のかけらが入っているので、それを強く感じるものは、僕にとって感じ取りやすい形をしてるんだろうけれど。
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こういうことを感じているうちに、いのち、愛、っていうのは、宇宙を動かしている力(フォース)なんだっていう感覚が、どわっと押し寄せてきました。
種が芽吹いて、太陽に向かって伸びて葉が開いて、蕾ができて花が開く。それはいのちの働きによって、そうなっている。
その働きは、この生命体としての地球を動かしてもいるし、僕自身を育て、動かしてもいる。
この「いのち」が、あらゆる場所に形を変えてはたらき、現れている。
全てに宿って宇宙を動かしている、そのフォースが僕なんだ、みたいな感覚が押し寄せてきました。
それはなんとも圧倒的でした。
それを、全ての人に、全てのものに、見ながら生きていきたい。