根性論
アマゾンプライムビデオでファーストガンダムを見ているんですが(4周目)、ちょいちょい出てくる根性論が時代を物語っているなと感じています。
アムロって元々民間人だったんですが、いろいろあってダンダムを勝手に動かしているうちに軍人になったんです。アムロがガンダムを動かすのが上手だからと戦闘が始まるたびにバンバン戦わせて人殺しをしているうちに鬱状態になって思考が停止して動けなくなって、そこで言われる言葉が
「いくじなし」
いやいや、アムロこの時15歳ですよ。
ファーストガンダムをテレビで観ていたのは小学生の頃、40年ほど前です。当時はそんなシーンにまるで違和感を覚えませんでした。
その頃は何でも根性論でした。小学校のサッカークラブでは「水を飲んだらバテる」と言われ、飲ませてくれませんでした。高校の吹奏楽部では、コンクール前にエアコンのない音楽室を窓とカーテンを締め切って長時間合奏をしていました。暑い中でも集中して演奏できる根性を手に入れるためだとか。
すごい時代。
トランペットはバテる楽器です。ほんの数分間演奏し続けるだけでもとても難しい。
中学校の夏のコンクール前は、エアコンなどないところで朝から晩までずっと同じ曲を合奏していました。そんなのバテるに決まってます。で、音が出なくなったり、はずしたり、ピッチが異常に悪くなったり。そこで熱血コーチに言われた言葉が、
「バテてもちゃんと吹きなさい」
「バテてからが本番だ」
「バテても演奏できるようにしておきなさい」
でした。
そんなのおかしい、と今の時代だったら冷静に考えられるかもしれませんが、根性論は精神に根付いてしまうものなので、ちょっとしたところでこの発想が出てきてしまいます。例えば、苦手な箇所を単純に何度も繰り返すだけの練習をしてしまうのも根性論が原動力です。音を出すことばかりに意識が向き、熱中してセッティングが雑になるのも同じです。
根性論がすべて悪いとは思いませんが、無意味だったり非効率的だったりするのは否めません。
隔週土曜日にトランペットや音楽についてのみ書いているブログ「ラッパの吹き方:Re」を更新しております。ブログの形式上どうしても過去の記事がうもれてしまうということで、このように掘り起こし作業をしております。
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荻原明(おぎわらあきら)