やってみたいの先。
会社経営者と呼べるほど立派なもんじゃないけど、会社を初めて7年目の半分が過ぎた。
このブログや普段の発信から会社員時代との目線の変化を書いてきたが、佐渡で仕事を始めてから改めて痛感することがある。『ビジネスアイデア』と『ただの思いつき』の違いだ。
この二つを明確に線引きする要素の一つとして、それをやることで起こりうる先の未来予想図の有無が、発案者にあるかどうかというところだと個人的に感じている。
地方に来ると、過疎や衰退の対抗策として多くの有志達が様々な業態で挑戦しているのを見かける。そして図らずも、ありがたいことに?そういった会合に呼ばれて色々と意見交換させていただく機会も多い。
彼らの多くは本当に心からその地域を愛していて「どげんかせんといけん」といった風の熱量はすごい。なんというか、すごい。
熱量がすごいのはとても良いことで、覚悟と行動がセットになっているので『何かしらの活動』が活発である。その『何かしらの活動』が「自分たちは頑張っている!」という若干の自己陶酔を含みながら、なんとなく空気をつくって周囲の人間を巻き込んで、いつの間にか大きな力になっていく様は、観察していても非常に参考になる。やはり覚悟と熱量と行動は大事なのだなと思い知らされる。
熱量を伴って組織が大きくなっていく際、その『何かしらの活動』は絶対正義であり、その渦中の誰しもがそれを信じて疑わない。勢いがある内は彼らの中から生まれた「こんなことやってみようぜ!」が基本的に採用され、実行される。しかしその『何かしらの活動』自体、実はその地域を「どげんかせんといかん」という現実的にはネガティブな要素を孕んでいるので、何となく『自分たちはかわいそう』という、どこか自助努力を欠いたイメージが拭いきれないことが多い。
そしてそんな中で発せられた「こんなことやってみようぜ!」案は結構な確率で他所の地域での成功事例のコピーが多く、該当地域に対して世間が描く「欲しいもの」からは遠く離れたものになってしまう可能性が高い。それでも渦中の人たちは盲信的にそれが「良いもの」と思っているので、誰もブレーキをかけずにそのまま進んでしまう。結果的に、予算が底をつき、成果物は余り、最後の飲み会で「俺たち頑張ったよな」という満足感で終わるのが、経験上みてきた景色のほとんどだ。
これらの会合の中で熱っぽく語られる言葉の中には「とにかくやってみたいんだ!その先のことは考えてない!」って人が、これがびっくりすることに、結構多い。その先のことは考えてない→やってみなければわからないという意味でもあるので、それはそうなんだけど、仮説くらいはあっても損はないような気がしている。なんかたまにある文献で、仮説があると失敗した時のダメージがデカくなるから考えない方がいいって読んだことある気がしないでもないけど、仮説がないと失敗した時に何がダメだったのか考えることができなくて次につながらなくない?って思うのはたぶん僕だけではないはず。
とにかくやってみたいなら、やってみたら良いと思うし、その結果得られた経験を糧に前に進んでいける自発的成長を見込める人間なら勝手にやるだろうし。僕も仮説も何も考えてないけどやってみた先に何があったか知りたいし。それが運ゲーだと分かっていても、そいつに運があるかどうかくらいはわかるし。
ただ、人に意見を求めながら「先のことはイメージできてないけどとにかくやってみたい!」を周囲にやりたいことを伝えているだけの間は、きっとその人自身も実行に踏み切る覚悟もないわけで、やっぱ失敗が怖いからどこかで誰かの確証を得たいんだろうなって思ってしまう。だとしたら尚更、出口に向けた仮説は必要じゃなかろうか。失敗するのが怖いのに成功のイメージすらないなんて、やってみたいのエネルギーだけで乗り越えられるもんじゃない。そして熱量だけで集まった人たちの中でそれに冷静にブレーキ踏める人がいないってのもまた、踏ん切りつかない状態になってしまう。
心は熱く、頭はクールに、未来予想図を書いていかなければいけないと痛感した師走。