【本所②】南本所代地町
2018.04.10 12:00
町名:南本所代地町
読み方:みなみほんじょだいちちょう Minami-Honjo-Daichichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1776(安永5)年~1697(元禄10)年から寛政年間(1789~1801年)の間
冠称:「南本所」
後身:本所太平町一・二丁目
現町名:墨田区太平二・三丁目
概要:『角川日本地名大辞典』にはなし。『本所絵図』では現・蔵前橋通り太平四丁目交差点北西側に2ヶ所発見できる。1つは太平四丁目交差点北西側東から四ツ目通りと両側町になっていた深川代地町の西に存在した。そこは現在の墨田区太平三丁目12番10号で日本屋楽器本社センター辺り。もう1ヶ所はその西に北本所代地町、南本所出村町、北本所代地町と続き、その西側に存在した。恐らく北本所代地町等と同じ時期に整理されたものと見てよい。
『本所絵図』を『嘉永新鐫本所繪圖』と比べると、『本所絵図』では法恩寺の東の深川代地町から南本所出村町までが『嘉永新鐫本所繪圖』での深川元町代地に、『本所絵図』ではその東の北本所代地町から現・太平四丁目交差点北西の深川代地町までが『嘉永新鐫本所繪圖』では同六間堀町代地(深川六間堀代地町)となっている。
なお、『北本所横川ヨリ亀戸迄 : 天保一一年八月ノ形』には当町は存在しない。
前述を踏まえると、西の方は1776(安永5)年に深川元町代地に、東の方は1697(元禄10)年から寛政年間(1789~1801年)の間に深川六間堀町代地(深川六間堀代地町)に編入となり消滅。
撮影場所:南本所代地町