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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

第4回十字軍6-最初の脱線ハンガリー侵攻

2018.04.24 01:32

1202年夏、十字軍兵士がヴェネツィアに集まり始めると、費用が当初見積もりを大幅に上回ることが明白となった。足止めを食らってイライラする十字軍に対して、ヴェネツィア側は、「ちょっとハンガリーのザーラを攻撃して分捕ってこいや」と提案するのである。実はザーラは地中海貿易の中継地点であり、ハンガリーがヴェネツィアとケンカして使えなくなっていたのだ。

「いや、趣旨違うんじゃね?」ところが、このとき司令官であったモンフェラート候ボニファティオの妻の父は、当時のビザンチン皇帝に目を抉られて追い出された元皇帝なのだ。その息子は西欧に来てさんざんビザンチンを罵倒していた。このときビザンチン攻撃まで計画していたかは定かではないが、ともかく心理的バリアーはなかった。

ということで、ザーラ攻撃が決まった。さすがに離脱する兵士も多かったが、ヴェネツィア元首(ドージェ)直々に参加して、命令を出した。ああもう何でもありね。「おいおいなぜ十字軍が来るんだよ」と慌ててる間に、5日でザーラは陥落した。教皇インノケンティウスはさすがに怒り、教唆したヴェネツィアを破門に処したが、現世利得に染まりまくってる街は屁とも思わない。

教皇は、「次は真っ当なことやれよ」と言って、街への破門を解除。しかしこの準備中にアクシデントが起こる、いやすべて計画だったかもしれない。廃位された前皇帝の息子が訪ねて来たのだ、しかも神聖ローマ皇帝がOKしたという推薦状を持って。「ビザンチンを攻めてください」と涙ながらに訴えた。

下は十字軍のザーラ侵攻