そこで見える景色

2018.04.11 08:51

じっと見るちくわ。

かわいい。

頭の中は、ごはん、おやつ、おさんぽ、おもちゃ、あそぶことでいっぱいなのかも。


ちくわにじっと見られているわたしのほうは、

この数日、おなかが地面につかんばかりの超低空飛行ぎみです。


人と無理して話すこともせず、素でいます。

元気ですこやかでいるに越したことはないのだけれど、

そうもいかない日というのも実際のところあるわけで。

常に元気でなくても、無理して話さないことも、顔も素のままなことも、

いいじゃないかと、自分にも人にもよしとできる寛容さがあればいいなぁと思います。


とくに、ヨガというもの、

世間のイメージとして、元気だったり、明るかったり、まぶしいっ☆みたいな人になれたり、

そういう人がやっているというイメージを、その筋の方から刷り込まれているように思うのですが、


わたしのように超低空飛行でも、元気がなくても、心にモヤモヤをもっていても、

来れる場所です。


そういうときに、誰とも話さなくてもよしとされて、

終わった後にほんの少しでも明るい方に心の矢印が向いていたらいいし、向いてなくてもいいし、

超低空飛行の自分を労わって愛せるようになってたらいいし、なってなくてもいいし、

どんな「わたし」でもいいじゃないかねと、甘やかし上等!とできる場所であればよいなぁと思います。


超低空飛行でないと、見えない景色があるものです。


そういう時間に、

今まで蓋をしていた感情が出てきて、それを見つけることで昔の自分が癒されることがあるかもしれないし、

執着していただけだったというものに気づいて、それから手を離せる機会になることもあるし、

ちゃんと自分の言葉で話していたか、躊躇なく遠慮なく自分の大切なことを出していたか、

いい顔でその場をやり過ごそうとしていた自分を目の当たりにしたり、

ちょっとしんどいこともあるけど、自分の中を整理する時間なのかもなぁと思っています。


この超低空飛行期間を、無理して上昇しようとせず、味わうことにしようと思います☆

春のデトックスまつり。(お皿がもらえそうな名前だな。笑)




この期間にぐつぐつと自分から湧き出てきたことを記録として残しておこう。

ヨガやアーユルヴェーダのことをお仕事としていることを全部手を離してみようかと思った。

そこから思ったことは、

・世にたくさんあるヨガ教室というある意味テンプレートのような型にはめてやるのをやめてみよう。

・お仕事としていることに執着するのはやめよう。そもそも自分のために勉強していたのだし、そこを忘れない。

・人にどう受け取られるか、相手が望むものに合わせすぎていて、わたしがこの時間で

渡していきたいということを押さえ込んでしまっていなかったかという確認。

 それは自分が大切にしていること、いいと思っていること、自分のことを信じていないことじゃないか。

・執着してなかったら、わたしの言葉で話せるだろうな。

この期間、まぁまぁしんどいけど、今のわたしには必要な時間なんだろうな。