2022年は戦争が始まった年である
2022.12.28 10:18
新聞の音楽評論でイゴール・レヴィットというピアノ奏者の名を知る。早速お薦めのベートーヴェン「月光」を聞いてみた。丁度読んでいた本が「水俣病闘争史(米本浩一著)」だったからだろうか不知火海に浮かぶ月と神々しいまでの旋律が重なってしばらくは茫然としていた。明るい場所では見えなかった存在の顕が静謐な闇夜に差す光に浮かび上がり、月の光の粒子が音の一つ一つに溶け、有機水銀に侵された肉体から魂を救い出し、天上に招き入れているようである。
石牟礼道子は自らを闘争に向かわせたのは決して憐憫の情などではなく「自然から切り離された人という存在の悲しさ」だと言う。本当にそうだと思う、人間とは悲しい生き物である。もしかしたら人が他者との間で共有できるのはこの「悲しみ」だけかもしれない。
ある闘争家は相手は会社でもなく県でも国でもなく「社会システム」だと看破している。利に走るけちくさい根性が引き起こしたのではない、社会システムが個々の人間の常識的な判断を葬り去り、その積み上げがこの結果を生んだのである。誰がどう見ても、現に市民は発症の数年前よりチッソ工場から排出される廃液の禍々しさを認識していた。訴えを受けた県、国の役人も同様の認識だった。であるにも拘らず認定から補償に至るまでは命をかけた闘争を経なければならなかったのである。
何処にも悪は存在しない。少なくとも戦う相手としての悪は不存在なのである。人の創り出す社会はどうしようもなく悲しい。楽聖の旋律は悲の器たる者達への慈しみである。
令和4年12月28日