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母の死がきっかけ

2018.04.11 13:13

わたしが終活に興味を持ったのは、母の死がきっかけです。

母は膀胱がんを発症し、8年の闘病の末に亡くなりました。

もう10年前のことです。

当時は在宅で看取ったこともあって、仕方のないことだと思っていましたが、

今考えると、ちょっと早かったよなー、なんでかなー。

もっと長生きしてほしかったなーという思いが、年々強くなります。

不思議ですね。

闘病に関しての後悔はありません。

それは、母がやりたいようにやったから。

抗がん剤治療があまりにも苦しくて、拒絶した母です。

代替え医療をことごとく試しました。

免疫細胞療法や濃縮ビタミンC点滴、丸山ワクチン、

見るからに怪しい波動水なんてものも。

母も、わたし達家族も、多分冷静ではなかったのでしょうね。

当然、どれも効果はありませんでした。

癌は勢いを増すばかりで、

後戻りができなくなるほどあっという間に全身に広がったのです。

どちらがよかったのでしょうか?

今でもわたしは判断ができません。

母は、自分の思う通りの闘病をしました。

もしわたし達が、抗がん剤治療を強く勧めていたとしたら、

母はわたし達を恨み、主治医を恨んだでしょう。

苦しんで苦しんで死んでしまったでしょう。

母は自分の治療を人にゆだねなかった。

自分の意思を貫いた結果が、

思ったより早まった死であったとしても。




延命治療や終末期医療の自分の意思を決めるのも、

実は終活の一つです。

命がかかっている判断は、迷いが大きすぎます。

そしてそれは往々にして、本人ではなく家族にゆだねられることが多いのです。

どのような判断でも、人の死は免れません。

そしてその判断を下した家族は、どのような判断でも後悔が付きまとうでしょう。

今になって思うのは、

母は、

わたし達にそのような重い枷を背負わせたくなかったのではないかと、

後悔に苦しませたくなったのではないかと、

そんな母の終活を、わたしは感じずにはいられないのです。


では自分の時はどうするのか。

もし突然病に倒れ、判断能力を失い、

わたしの家族がわたしの週末I医療の判断を迫られるとしたら……。

やはり、

家族を苦しませたくないなぁという思いが募ります。

わたしはわたしの命の責任をしっかり背負えるように、

エンディングノートに自分の意思を明記しておくつもりです。


わたしの終活の第一歩は、

おそらくエンディングノートの中でも末尾の項目になる、

終末期についての「わたしの願い」になるでしょう。