『スペンサー ダイアナの決意』と『ブロンド』
少し落ち着いてきたので。
と書いて保存してたらもう年末になってしまった。爆)
映画館で『スペンサー ダイアナの決意』を観た。公開当初)
公開前に上映されていた『ダイアナ』を観賞できた上でみれたのは大きかったな。
子供の頃にいた、現実のお姫様。
何があったか分からないけど、ニュースが姫のことで騒いでいたのが本当の記憶なのか後入れなのかはもう分かんない。
彼女の半生を主観なく、ニュースや当時ビデオを回していた一般人のホームビデオ等から剥き出しにして浴び続けた。
主観、ナレーション等は一切入らなかったのが凄く良くて…。
ドキュメンタリー映画を観て自分の中で都度、ぐるぐると思考と感情を巡らすことになった。
王室カラーの青系統の色味の中、ダイアナが好きだった赤系の服を身に纏っている姿が映る度に胸を撫で下ろす自分がいたよ。
そして映画『スペンサー ダイアナの決意』。
ギューーーっと、とあるクリスマス前後の3日間限定で描かれていたのが密度を増していて観やすかった。
背景が全然語られる隙もないけれど。
あまりにキツい描写、表情がずっとしんどかった。
彼女の眉間のしわが、ずっと辛かった。
けれど衣装に美術、お城の中なんて本当にうっとりしてしまうくらい美しくて美しくて…。
物語のしんどさは、美しさを持って中和されていたんだな。
結局観れてしまう、絶妙なバランス。
けれど、創作の映画だから成せる最後の爽快感。
1人の女性としてカッコよく風を切る彼女は、とても素敵だった。
そしてドレスじゃない、別の美しさを魅せてくれた。
彼女へのリスペクトを感じるラスト。
とても勇気をもらえるような、再び彼女に想いを馳せ、憧れてしまうような映画的だった。
ところが、Netflixで公開された『ブロンド』よ。
私の大好きなマリリン・モンローを描いた2時間46分の長編作品。
モンローを演じるのはアマデ・アルマスだし、予告編のクオリティに興奮がおさまらなかった。
もう超絶期待してた。
ただ。
観てる最中はしんどくて。
観終えて、悲しみに暮れていた。
あまりにも、これじゃぁ彼女に対して酷い仕打ちじゃない。
原作があり、それを基にしているというが…。
『スペンサー』のダイアナも、『ブロンド』のモンローも、主観を変えればワガママな女性に捉えられてしまうのは分かる。
実際にそういう声も両者あった。
でも、内面に強く何かを思っての態度であり行動だったはず。
私程度の浅い見聞でも、モンローがどれほど、本物の女優になりたくて過ごしていたかスグに知れることだ。
(ちなみに当時、映画はカットができるからと、舞台での俳優の方がより実力派とされていたらしく。
多数の俳優陣は舞台を目指し、他にもれずモンローも舞台での出演を目指していた、とどこかで読んだ。)
『ブロンド』のモンローをモンローを知らない人が観て、彼女に憧れを抱くかしら。
きっと既に“可哀想な人”のフィルターがかかってしまっている。
作品の中の彼女は、とても悲惨で可哀想な人でしかなかった。
映画の再現度には度肝を抜かれた。
ジャック・レモンの顔があったから、一部はハメこみなのかしら。
髪型も最高。
アマ・デ・アルマスがモンローに見えるような金髪ショートのバランスが抜群の完成度。
英語もきっとたくさん勉強されたのだろうな。
俳優として本当に素敵な方。
だからこそ、どうして…という気持ちがずっと募るばかりだったのん。
『ブロンド』の後にモンローの映画を観るなら、是非『ブロンド』は忘れて欲しい←
いや本当、そこまで思っちゃうよね。
あの時代の男たちは〜、とか、セクシュアルな問題点が現代で注目されてるから打って付けだと思ったのかな。
でも完成された映像は、現代になってもモンローの知名度を利用しているかのよう。
彼女へのリスペクトはどこへ…。
事実かどうかも分からない“事実(原作)を基にした”という、ものは言いようだなぁ。
彼女の、時代や男性陣に立ち向かった話を、自らブランディングを理解して進んでいたことを、再契約を勝ち取った話を。
前を向いて進んでいたストーリーはたくさんあるはず。
現代に向ける意識が高いなら、そういったものの方が良かったんじゃないかなぁ。
今年もマリリン・モンローが好きでした。
こんなにずっと好きで惹かれる人は今までにいないね。
来年もまたモンローに憧れ、好きでいたいね。
まだ知らないモンロー映画もあるだろうし、写真や本も手にできたらいいな。