潤す雨。浄化する雨。
Naoyaです。
今日は二十四節気の6番目、穀雨(こくう)です。稲を初めとしたさまざまな穀物の成長を促す雨が降る時期とされています。
穀雨の始まりは、十二星座の牡牛座の始まりでもあります。牡牛座という土の星座の時期に雨の節気がちょうど重なっているので、肥沃な土壌ができ上がっていくイメージを想起させます。
穀雨には「雨が降って百穀を潤す」という意味があります。穀雨の頃は、何気に雨量が多い時期です。でも、変わりやすい不安定な春の気候も、ひと雨ごとにだんだん安定していきます。二十四節気の春は立春に始まって、穀雨で終わりとなるのです。
時に移動性低気圧のせいで荒天となり、春の嵐になることもありますが、春の雨は潤いを与えつついらないものを洗い流して、夏へと向かっていくための通過儀礼のように思えます。
俳句の春の季語には「春雨」や「霞」「朧(おぼろ)」など、湿り気を帯びたスモーキーな言葉がチラホラあります。晴れた爽やかな日もありますが、ぼんやりとはっきりしない天気の日も多い。それが春らしさです。ちなみに「春の雨」と「春雨」は違います。「春の雨」は春に降る雨全般を指しますが、「春雨」とは、音も立てずにしとしと静かに降る春の雨を指します。「朧」とは、夜の霞のことです。
大貫妙子さんの歌で「春の嵐」というのがあります。「春の手紙」「ベジタブル」「突然の贈り物」を初め、大貫さんには春を歌った曲が結構あるのですが、その中でも「春の嵐」はとても好きな曲。
春ならではの安定しない物憂さ、色鮮やかな季節に色を失う切なさや哀しみが、少ない数の音符と言葉で描かれていて、モノトーンの街並みが思い浮かびます。ほんのりブルーがかったグレイに近いモノトーン。派手さはない曲ですが、詩集の片隅に載っている1篇の短い詩のよう。春の嵐はどの季節の嵐とも違うし、単なる荒れた天候って感じではないなぁと、昔、この曲を初めて聴いたときに思いました。
そういえば大貫さんの「Rain」という曲も好きです。
今は亡き愛する人へ囁きかける手紙のように思えますが、松任谷由実さんが原田知世さんに提供した「時をかける少女」のような、時空を超えたタイムトラベルのようにも僕は感じるのです。解釈は聴く人によって異なるかもしれませんが、心に染み渡る曲です。
「Rain」の季節は一切明示されてはいませんが、この歌の中で降る雨は、音もなく静かに降る「春雨」のように思えるのです。坂本龍一さんによる浮遊感のあるサウンドプロダクションにも、そんなニュアンスが漂っています。
「Rain」の雨は、夜明けにひっそりと降る温かい涙のようだと描かれています。穀物の成長を助ける雨を「甘雨(かんう)」や「慈雨」と表現しますが、まさにそんな表現が似合う雨。慈愛や潤いで柔らかく包み込みながらも、いらないものはすべて洗い流して浄化する優しい雨です。
満開だった東京の桜の花はあっという間に散って、葉桜の緑が鮮やかになってきています。春の雨で洗われて育った新緑が、さらに美しく映える季節です。
穀雨が終わる頃、八十八夜を迎えます。立春から数えて88日目が八十八夜です。「八十八夜の別れ霜」と言われていて、この頃から霜が降りなくなり、夏めいた日もどんどん増えていき、いよいよ初夏へと季節がシフトしていきます。