『落書き』~side A~
俺自身は全く覚えていないのだが
小さい頃の俺は、
随分と手のかかる いたずら小僧だったらしい。
特に2~3歳の頃はひとり遊びすることが多く
広大な城の中を、
供も付けず一人で
勝手に歩き回るので
目を離すとすぐに姿を消してしまう俺を
母上や侍女たちはひどく心配したそうだ。
しかし、ケロッとした様子で戻ってくる俺の行動に
周囲もその内慣れていったという。
俺が『ひとり散歩』からご機嫌で戻ってきた後は、
城内のあちこちでいたずらの痕跡が見つかる。
特に多かったのは落書きだったそうだ。
お気に入りの落書き道具はチョーク。
どうやら親父の研究室から拝借したらしい。
壁や床は格好の獲物で、
中には『なんでこんな所に?』というような
明らかに手の届かない場所や、
普段は立ち入ることはないような場所にまで描いていたらしく
城内のミステリーになっていたとか。
しかし、こんな話をいくら聞かされても
俺は幼い頃、絵を描いていた記憶が無い。
お気に入りだった紫色の猫のぬいぐるみ。
よく遊んでいた積み木の感触。
ボールの色。
幼い頃に触れた玩具の記憶は
今でもおぼろげに残っているのに
どんな絵を描いていたのか
なにを描くのが好きだったのか
俺は、何も覚えていない。
~side B~
「それは何を描いているんだ?ブラムド」
中庭の石畳に座り込み、
きょとんとした顔でこちらを見上げた息子は
『んー?』と言って首を傾げた。
落書きの現場を発見されたにも関わらず
怒られるとは微塵も思っていない様子だ。
まぁ別に咎める気も無いが。
こいつは今年2歳になったばかりだが、まぁよく動き回る。
一秒でも停止していない。
そんな子ザルが大人しくなるのが、こうやって何かを描いている時だ。
話には聞いていたが、なるほど。随分と奇妙な絵を描く。
妻が心配するわけだ。
こういう時期の子供は
大抵身近な人物や物、
好きな動物や絵本のキャラクターを描くことが多い。
少なくとも、見た事があるものしか描けないはずだ。
生まれて二年足らずのこいつが、 これまで見てきたものなど高が知れている。
にもかかわらず。
こいつは城内では見ることは有り得ないであろうものを、よく描く。
そう語るミハの表情は、常に不安そうに陰っていた。
しかし、所詮は子供の落書き。
さほど気には留めていなかった。
が。
「…確かにこれは不安にもなるな。」
落書きを眺めながら 、ぼそっと呟いた俺の言葉に
ようやく話す気になったらしい息子は
舌足らずな高い声で、喋り始めた。
「あのね~。
これはおじいちゃんで~
あっちはおねえちゃんと~おねえちゃんのおにいちゃん。
でもね、こっちはあかちゃん!
だからあいにくるんだよ!」
「そうかそうか。」
やべぇ。何言ってるのかひとつも理解できねぇ。
「ぐるぐるしてて~おててつなぐの。
ぼくね!まんなかのやく!ずっとまんなかにいたの!
えらいでしょ!」
「ほほ~。」
なんか、普段使ってない部分の脳みそ使うな。この会話。
「でもね~いまはまんなか、だれもいないの。
だれかいないとこまるんだよ。
こまったね?」
俺がいま困っている。
「…誰かがいないとなんで困るんだ?」
言った瞬間、訊かなきゃよかったと心底後悔した。
また支離滅裂なトークが始まるに違いないというのに。
するとこいつは怒った様子で訴えた。
「こまるよ!ちちうえもこまるでしょ!」
知らねぇよ。
あまりに意味不明な話に思わず吹き出すと、
ますます怒り心頭になったらしい息子は、俺のマントをひっつかみながら
キィキィと喚きだした。
「もぉ~ばかー! ちちうえのばかー!」
「なんでお前に馬鹿呼ばわりされなきゃならんのだ?ん?」
足元で騒ぐ小人を肩に担ぎあげると、小さな暴君は途端に大人しくなった。
肩車すれば大抵のご機嫌は直るので、ちょろいものである。
俺の頭上ではまだ『こまるのに・・・』とぶつくさ言っているが
ぷらぷらと嬉し気に揺れている足が、怒りが治まったことを物語っている。
風が冷えてきた。
中庭にも西日が差し込み、昼と夜の狭間が出来ている。
「もう戻るぞ。
お前が熱を出すと、またうるさく言われるからな。」
反発の声は降ってこないので、返事を待たずに歩き始めた。
うとうとし始めているのかもしれない。首の後ろがやけに温い。
待望のこの世継ぎに対して、周囲は過保護っぷりは呆れるほどだ。
元々子供好きなミハはまぁわかるとして、
あのマクスウェルでさえ、こいつに対しては随分と対応が甘い。
相変わらずニコリともしないのだが。
だからまたいつもの過剰な心配だと思っていた。
だから実際に様子を見に行くこともしなかった。
しかし。
「これはすぐに消させた方がよさそうだな…。」
妻の、クラウディアの目に入る前に。
中庭の石畳、全てを埋め尽くすように描かれた
おびただしい数の
息子の『落書き』を。