四季図を読もうと思ったのに木星にひっぱられている話
太陽イングレスチャートを読むようになってから3年。
二つとして同じものがない、人間それぞれが異なるホロスコープを持っているように、
当然ながら毎回異なるものを読んでいるわけなのだけど、
季節図なんかは目の前に対象とする人がいるわけではないので、
時々どこに焦点を置いたらいいか迷うことがある。
太陽や惑星たちは宇宙の法則に従い絶えず廻り続けていて、
地球のある一点から見た一瞬を切り取ることにどんな意味があるんだろうか?
そんな、考えれば考えるほど途方に暮れそうな問いを投げかけてみたところで、
答えなんか出るわけないのだ。
そういう時はまだ読むのには時期尚早なのかもしれないとも思うけど、
結局は直観のようなものに頼りがちになっていることにも納得いかないこの頃。
未来が知りたいとかそういうわけじゃない。
だからといって明確な目的や目標があるわけじゃない。
強いていうなら、自分の学びがどの段階にあるのか知りたいかなぁ。
ホロスコープを読むことで、自分が何に関心を持っていて、
どんな問いを抱いているのかが見えてくるのだと思う。
占星術的には春分点が一年の始まりだと言われるけれど、
生活している中ではグレゴリオ暦の1年が区切りであり1月1日が一年の始まり。
その切り替わりの頃になると、いろんなところで「〇〇座の今年の運勢」というのを目にする。
私も2023年の、十何年来読んでいる(飛ばした年もあったかな?)石井ゆかりさんの年報を読んだところ。
いまだにやっぱり私は獅子座だということにピンとこないながらも、その流れというか、心の向く方は「当たってる」なぁと思うから不思議。
いや、そのカラクリも学んでいるし、自分でもうちょっとしっくりくる「星占い」ができても良さそうなんだけど、私の場合はどうもそういうことではないらしい。
じゃあどういうことなんだ?とまたぐるぐる答えがないところを彷徨い出す...
そもそもまだ前年の「冬」の時期だ...
あぁそうかでも、この問いの「種」がどんなふうに育っていくかを見ていくのが四季図読みということなのかもしれない。
各自が持っている種は違うけど、それがどんな風に芽を出して花を咲かせて実をつけるのか、一年という周期を刻々と進んでいく太陽の動きに沿って見ていく、植物の観察日記の予測のようなもの。
目で見て確認できる植物と違うのは、それが自分自身のことであるということ。
自分で自分を直に見ることはできないし、外界からの影響も、内側からの変容も、太陽の運行のように一定ではない。
ホロスコープの場合はそれを、惑星や月の動きを見ることで予測する。
なんだけど、まだ問いの種が十分でない、何を蒔こうか決めきれていない、
というところで、四季図読みは一旦お預け。
そうなのだ、「目的意識」をあらわす太陽がしっかりしていないと、巨大な惑星である木星に引っ張られてしまうのだ。
2022冬至チャートのアセンダントは射手座30°で「法王」というサビアンシンボルがある。
射手座1°に月を持つ私は、盛大にこのシンボルを崇めているような...
太陽射手座の季節から学びに拍車がかかり、講座や勉強会に参加したり、そのおかげで読書の幅が広がったりしているのだけど、自分の目的意識がどこにあるのか未だ定まらない。
実態のない大きなものを目指すよりも、コツコツ目の前のことをやって水星力を鍛えることのが大切だということも、意識してはいるのだけれど...
明日は、私の「月"逆"回帰」というタイミング。
文字通り、月がネイタルの反対側に来るとき。
前回のこのタイミングで偶然そういう見方があると知ったばかり。
また読むべきものが増えてしまったのはいいのか悪いのか?
けどこうして増えてしまったものを整理したり無駄を削っていくことも、
地道に水星力を鍛えることにつながるのかもしれないので、
これもまた無駄ではないんだろう。
というわけで、四季図読みはまた別のタイミングに、
いや、目的意識が定まったらば、やることにしよう。