RPGが僕に教えてくれた伝説の勉強術
以前FF6(読者の皆様はなんと呼ぶだろう)について記事を書いた時に、このブログのPV数がぐっと上がった。読者のみんな、けっこうゲーム好きなのかも。ちなみにこの記事だ。
僕は子どもの頃、かなりのゲームっ子だったように思う。それこそRPGだけに限っても、ドラクエやFFやマリオRPGやBOFや聖剣伝説やMOTHERなど、様々なゲームにはまっていた。
RPG(ロールプレイングゲーム)の魅力は何と言ってもその物語性だ。
物語の先が見たくて、続きが知りたくて、プレイヤーはちょっと面倒臭いレベル上げや村人への話しかけを繰り返す。
そうやって物語の持つ魔力につられて先へ進んでいくと、いつの間にか、楽しいことが次々に増えていく。
敵に勝った時の快感、自分の成長感、増えた仲間や覚えた魔法を初めて試す時のドキドキ感、洞窟やダンジョンやボスが待ち構えるお城で味わうスリル。
そのどれもが、僕らの手をコントローラーへと伸ばす原動力になる。
放課後テレビの前に陣取って、ワクワクしながら違う世界へ入り込む。そこから、お母さんに「ご飯よ」と呼ばれて「何やってるの」と怒られるまでの時間、僕らは夢中になって宝箱の中身や伝説の竜を追う。
書いているだけでもウズウズしてきた。また冒険に出たいなぁ。なんか面白いRPGないかなぁ。
そうだ、自分で作るっていう手もある。RPGツクールというゲームがあった。でも、自分で自分に向けて作るRPGははたして面白いのだろうか。
そこまで考えて、最近生徒に言われた言葉が頭をよぎった。
「先生、このプリント、難易度高すぎる」
ん?その言葉、遠い昔に言われた記憶があるぞ。
そうだ、たしかあれはRPGツクールで作ったRPGを友達にやってもらった時。
「このゲームさ、難易度高すぎる」
あの時に言われたんだ。
そのゲームは、今となっては当時の僕が何を考えていたのかてんでわからないけれど、主人公が魔王で勇者に追い詰められたところから始まる糞ゲーだった思い出がある。逃げ切らないとすぐ死ぬ。
当たり前だが、難易度が高すぎるゲームは面白くない。
できるかできないか、そのギリギリが一番面白い。何ならちょっと「できる!」が多いほうがはまりやすい。
でさ、そりゃもちろん、勉強だって同じだよね。できないことは、つまらない。じゃあ、そんな時は、乗り越えられない敵に出会った時は、RPGだったらどうしたっけ?
そうだ、レベルアップだ。
「でも、それ次のテストに向けての学校からの課題でしょ?やんなきゃまずいよね」
「このプリント難易度高すぎる」とぼやいた生徒が、こくんと頷く。そう、このプリントはいつかは倒さねばならない敵。ただ、まだ時間に余裕はある。急がば回れという言葉もある。幸いこのダンジョンは深くない。またすぐに戻ってこられる。
「よし、じゃあちょっと簡単なのからやってみようか」
倒せない敵がいる時は、近くの雑魚モンスターと戦って経験値を稼ぐ。そしてレベルアップするのだ。そうすれば、どんなに強い敵もいつかは必ず倒せるはず。誰かさんが作ったでたらめなゲームじゃない限り。
難易度を下げて用意した問題をさささと解いた生徒は、「なるほど」なんて簡単にレベルを上げて、15分後には元のボスを余裕で倒し始めた。
「あ、俺これ得意かも」
遂にはそんな言葉まで出た。
問題を解いた時の快感、自分の成長感、増えた知識や覚えた公式を初めて試す時のドキドキ感、内申や偏差値が出るテストや志望校に行けるかどうかで味わうスリル。
そのどれもが、僕らの手に鉛筆を握らせる原動力になる。
放課後机の前に陣取って、ワクワクしながら違う世界へ入り込む。そこから、お母さんに「ご飯よ」と呼ばれて「今日もがんばったね」って褒められるまでの時間、僕らは夢中になって新しいものを手に入れ続ける。
勉強にだって、物語がある。
それはね、きっと、君という名の物語だ。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
ハッピーエンドになるといいよね。
「勉強術」シリーズ