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マリオ・ジャコメッリの写真集のレビュー

2018.04.15 15:12

いつも珈琲には牛乳を入れます。岩崎忠好です。

「彷徨えるユダヤ人」。それは十字架を背負い刑場に向かうイエス・キリストに向かって罵詈を浴びせた事により、審判の日まで放浪を続けなければならないという呪いを受けた男の説話である。僕はジャコメッリの写真を見た時、その説話を思い出した。

 僕はジャコメッリに興味を持ち、早々にウィキペディアで検索してみたのだが、日本語版のウィキペディアでは彼は紹介されていなかった。写真界では巨匠らしいのだが、いまいち日本語での情報が少なすぎる。ならばと某通販サイトで写真集の購入を検討したのだが、本国からの発送になるため3ヶ月待ち(実際は半年かかったが…)との事だった。5分ほど迷ったが注文する事に…。


 そんな事も忘れてぼんやりと過ごしていた日々の中で、ある日突然、差出人に覚えの無い、何の変哲もない謎のダンボール箱が郵送されてきた。恐るおそる箱を開けてみると中から現れたのはマリオ・ジャコメッリの写真集であった。

 予期していなかった瞬間に、突然に訪れた幻想のモノクローム世界。

 僕は自分でもびっくりするほどに、無感動にその写真集のページをめくっていた。そこに写し出されている世界は、寒々しい田園風景であったり、病室で朽ちていく老人であったり、顔面が崩壊した人であったりと、死、または悪霊を思わせる様な、虚無的な世界が次々と展開されているのであった。


 虚無。また虚無。そして虚無。虚無のデフレスパイラル。しかし、虚無的にページをめくる僕の指がふと止まる時が来る。


 それは若い男女の草原でのキスシーン、ビーチでのキスシーン、農村での結婚式風景、雪の中をはしゃぎ回る若い修道僧などの、モノクロ写真なのにブリリアントな、死とは真逆の福音の風景である。

 生と死、愛と憎、聖人と罪人。

 そう、この過剰なまでのコントラストを表現するモノクロの写真集は、世界を二元論で捉え、その両極を往復する、アンビバレンスな世界の扉を開けるための魔法の装置だったのである。


 僕は普段、珈琲に牛乳を入れた様な、グレーで生温かい世界で生きているのかもしれない。

 ただ、全ての可能性は同時に存在している。あらゆる世界が縫い物の様に交差いている。モノクロームの世界も、ブリリアントな世界も、きっと僕の一部なのであろう。

 最後に。この写真集は、もちろん年表もコラムもキャプションも日本語では書かれていないので、この記事はあくまでもジャコメッリの作品を見た僕の主観によるものであり、間違った解釈もあるかもしれないけれどお許し願いたい。僕らは永遠に彷徨う罪人なのだから。